最新更新日:2017/10/19
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一年間に感謝!

今回の東北関東大震災で被害にあわれた方々に衷心よりお見舞い申し上げます。
未だ所在が確認されない多くの方々の所在が一刻も早く明らかになることを祈るばかりです。
今時の大震災は日本に未曾有の被害をもたらしました。互いに今できることを実行することが生かされている私たちの大きな責務です。共に今回の大災害で被害にあわれた方々の回復、地域の復興を祈念しつつ本ホームページを閉じます。一年間、ありがとうございました。
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東北関東大震災を悼む

3月11日(金)東北関東大震災により各地に甚大な被害が出ており、現在も原子力発電所の問題を含め、国をあげて苦難を乗り越える努力をしている最中です。よって、本校も災害にあわれ苦難されている方々を応援するため、可能な限り節電、節水に協力しています。今年度予定されている教育課程も残すところ、4日です。

節電協力の意味を含め、本ホームページも本日をもって、終了と致します。
平成22年度、西浦小の活動の一端を確認していただけた皆様に厚く御礼申し上げます。来る平成23年度も応援の程、宜しくお願い致します。
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緊急告知

3月11日(金)に起きた大地震「東北地方太平洋沖地震」による被害は想像を絶する甚大なものです。特に大津波による被害は壮絶で壊滅的なもので、未だ消息のわからない方や孤立し、救助を求めている方々も多くいると、報道機関の情報で知りにつけ、どうか無事に生還されることを切に祈るばかりです。

さて、この大震災に伴い東京電力が供給できるで電力が逼迫しており「輪番停電」の措置が考えられていることから、本校(西浦小)も以下の点について緊急措置をとります。ご理解とご協力をお願いします。

。碍遑隠監(月)、15 日(火)の給食を中止とします。
よって弁当を持参して下さい。

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磯の香・3月号

学校だより「磯の香3月号」を発行しました。目を通してくださると幸いです。本ホームページには配布文書のカテゴリーにアップしています。鮮明な写真でご覧いただけます。

学校評価(アンケート)のお礼

保護者の皆様に学校評価のアンケートを実施した結果を本ホームページの配布文書として公開します。特にグラフ入りの情報は本ホームページのみの公開とさせていただきます。3月上旬に実施予定の学校評議員会兼外部評価者委員会で委員の皆様にご意見をいただいたうえ、来年度の教育構想を練る予定です。ご協力に感謝申し上げます。

西浦大好き、もっと好き!ウォーキング

JR東海の企画する「さわやかウォーキング」の中に10月16日(土)のスタート7:30〜10:00「ひと足のばして、西浦から富士山と久連の石倉通り−寿太郎みかんの里を歩く−」が計画されています。

普段から旅行社の企画によるバスで西浦に来てウォーキングするツアーがいると聞いています。さてはて今回の企画はどれくらいの人が西浦を訪れてくれるのでしょうか。楽しみです!
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“一隅” H22. 6

− 教材研究考 −

6月1日(火)朝会にて佐野丹丘の揮毫石碑が本校に建立されていることを話しました。

その日の昼休み、1年生が石を見付けたと報告してくれました。最初に見付けたのは3年生だとも1年生は言っていました。

翌日、登校していきた6年生男子(久連組)が佐野丹丘石碑の裏に回り、建立年を確認していました。

私たちが今回の件で学ぶべき点、それは価値は学んでこそ明らかになることです。ただの石、変な字が書いてある石で終わるか、価値を認め、己が内にとどめ置くことができるかどうかです。

教師として学校という場で子どもに伝授するのは「価値」そのものです。

教師が学ぶべき地平はこの価値の確認にあります。

普段は見慣れ、当たり前になっていることやものの価値を見付けることです。それが教材研究だと考えます。
西浦小の子どもに「富士山ってきれいだね。」と聞いてみて下さい。きっとどの子も「…。」と答えるかな?

「教材研究」は授業を構想する土台です。されど、具体的に何をどうすれば教材研究ができた状態になり、授業を活性化させ、子どもに力を付与させることができるかは未だ体系化されていないと私には思えます。

日常の授業は教科書会社が出版している「指導書」を見て授業をすることが多いかも知れません。だから、綿密に教材と向き合う機会を年間で一度くらい作るために公開授業が校内研修として位置付けられてきたのかもしれません。

だからこそ、教師である私たちは教材研究とは何をどうすることかを今一度原点に立ち返って学び直す必要を痛感します。沼津の若手研修(2,3年目教員研修)が指導案作りを中心にして年1回の公開授業研修を義務づけ、6年目にはそれまでの授業実践をまとめて沼津市教育奨励賞として論文に仕上げる義務も「教材研究」する力を若いうちにつけてもらいたいとする願いが根底にあると私は理解しています。

青木幹勇は国語科における教材研究を次の四点に収斂させています(青木幹勇『生きている授業、死んだ授業』国土社、昭和58年)。
ゞ戯爐鮑酩覆箸靴討箸蠅△欧討痢∧絃呂慮Φ罅∈郤圓慮Φ罅
∈酩覆篋郤圓砲弔覆りのある現地へいって、教材に関係のある現物や現事象を見る。
6戯牴礎諭∋愼海瞭睛董∋愼海療験などを考究する。
す裕罎靴振戯爐鮗業につなぎ指導案まで書いてみる。
,痢嵎絃呂慮Φ罅∈郤圓慮Φ罅廚蓮何をどう研究するのでしょうか。

国語科の教材文は大きく分けて、物語文と説明文の二通りです。
「文書の研究」とは詳細な読解をめざします。では、何をすれば詳細な読解が可能になるのでしょうか。答えの一つは「視写、書き込み」です。特に視写が大切です。視写は昔から学びの具体的手段でした。

最近では女子プロゴルファー横峯さくらの伯父、横峯吉文が小学校入学前の子供たちに試みているヨコミネ式教育法として「視写」を取り入れていることが新聞広告に紹介されていました(朝日小学生新聞広告「朝小の記事 書き写して勉強」)。横峯吉文は「文章全体を書き写すことで、自分で理解する力や考える力が身につく」と宣伝しています。

昭和期、小説家を目指す人は必ずといっていいほど志賀直哉の『暗夜行路』を全文視写し、志賀直哉の文体を身に修めようとしたいう話を青木幹勇の『第三の書く』国土社、で知りました。

教材文を視写したら次に書き込みをします。重要語句を探し、線を引きます。重要語句を別の言葉で詳しく書き加えていきます。

例えば小4年の「ごんぎつね」の「こぎつね」に線を引き、「小さなきつね、親がいないのでろくに食べていないのか」と、子どものきつねと読まず、小さな身体のきつねと読解をしていくのです。むろん、新美南吉の叙述に従います。ごんが暮らす穴の位置、背景も読みます。その上で「小ぎつね」と読解し、上記の「書き込み」を入れていく教材研究をしていきます。何より教師が本文に「書き込み」をすることが重要です。

こうした教材研究が授業を開拓する素地となります。教材と向き合う教材研究こそが授業構想の基盤です。

今年の西浦小教師塾のテーマは、「学校の主役は子ども、授業の主役は教師」です。本質的な「たい」が表れる授業を目指します。そのために、教材研究をします。国語科だけを例に挙げましたが、他の教科や領域も基本的には同じはずです。

6月の朝会で紹介した宮崎県川南町立東小学校の口蹄疫をテーマにした「いのち」の授業を実践した嶋田雄一教諭は、「立入禁止」の看板を見ている子供たちに発問しました。

「この看板を見て、だれの顔が浮かびますか?」と。
得てして私たちは子どもたちに問いたくなります。
「どうして立入禁止の看板がたくさん立っているのですか?」
「なぜ、立入禁止の看板が立っているのでしょうか?」と。
国語科の文学教材を扱う発問に「なぜ、どうして」を使うことをいぶかります。むろん「どんな気持ちでしょう。」も然りです。
「誰の顔が浮かぶ」と問う発問が素晴らしいのは、見えない心を見るために視覚を通して目に浮かぶ「顔」に焦点を当て、子どもの心を揺さぶっているからです。「顔」を契機に次なる世界を見ることも可能です。
嶋田雄一先生の教材研究力を探りたくなります。

(平成22年6月3日)

“一隅” H22. 5

− 学校評議員会・報告 −
5月13日(木)、本年度の学校評議員のみなさんに来校いただき、委嘱状をお渡ししました。2名が欠席され6名の評議員が来校されました。授業を参観された後、給食を各学年で会食されました。

1年の教室で会食されたKさんはHさんの配膳を見て、すぐに褒めて下さいました。パンではありましたが、お膳に並べたパンの位置と汁の位置が定式に従っていたからです。

小倉朋子さんはフードプロジューサとして「食輝塾」を主宰されています。近著『「いただきます」を忘れた日本人』(アスキー新書、2008)の中で「ご飯は左、汁椀は右と知っている」の項を起こし、その理由を次の2点から説明しています。
/べる頻度が高い一品として、ご飯はいちばん手にしやすい左手 前にくるのが自然です。
⊆,妨にする頻度が高く、汁気のためこぼしやすい汁椀を、右の 手前に置きます。
続けて、「ご飯と味噌汁の基本位置があるからこそ、和食の食事作法は、無理がない状態ではじめて成立」すると述べています。

西浦小の学校経営書、年度はじめの保体部給食指導の提案事項としても明記されています。確認をした上、全校で指導していきましょう。お願いします。

また、静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫は静岡新聞夕刊の窓辺に「美しく食べる」と題し、恥ずかしさと食事の作法は連動していると、昨今の食事マナーの衰退を嘆いています(2010,5,17)。

会食後の学校評議員会では、「先生と子供が一緒に楽しんでいる授業が多くなっている。」とお褒めの言葉を主任児童委員よりいただけました。

「給食がおいしかった。」と多くの評議員の方の感想もありました。今後も授業参観等、可能な限り学校評議員の方々に子どものようすを見ていただくつもりです。

(平成22年 5月24日)



“一隅” H22. 4

− 子どもを見る −

板東(ばんどう) 元(げん) 氏は旭山動物園の副園長、「一隅H22.3」でも少し触れましたが、今回は詳しく話しをしてみます。

旭山動物園には飼育係がいません。「飼育展示係」という役職があるのだと。「飼育担当している動物を、最高の状態でお客さんに展示すること、動物の魅力を伝えることが仕事」だといいます。単に飼育し、生かしているのではなく、動物の魅力を観客に伝えるために動物と係わることが動物園の本務だと明言します。

動物園が抱えているジレンマは「めずらしさ」です。

少しでもめずらしい動物、パンダやコアラを集めることが目指されると、「時間がたつと飽きられてしまう。そして、また次のめずらしいものへの人の気持ちはどんどん移っていく。そうするとお客さんが減り、動物園はまた貴重な動物を世界中から集め、消費し続ける」悪循環に陥ってしまうのです。

だから、こうした悪循環を断ち切るために「めずらしさ」ではなく、動物園では見慣れているはずの動物がもっている「すごさ」「すばらしさ」を見せることに徹するのです。

「野生動物は、ぼくらの想像が全く及ばない能力を持っていて、それぞれのやり方で生きている」「動物たちは、人間とは全く違うスケールで生きています。めずらしいか、めずらしくないか、なんて、人間が勝手に決めた、勝手な価値観」でしかないのです。(サイト・北海道人「魅惑の動物園」より)

板東元の少年時代はファーブルの如くです。ヤモリが大好きで一心に観察をしていました。「どうやってガを捕るのか、どうやって吸盤みたいに壁にひっついているのか、そんなことばかり考えて、じっと見ていた」のです。そんな板東少年を両親は何も言わず見守っていたといいます。

「そんなつまらないことやめなさい。」とか「キャー」とか言ってヤモリを追い出してしまったら、「きっとそこで僕の興味は尽きてしまったと思う。」と振り返ります。

板東はこうした自分の少年時代を顧みながら「子供たちは大人に見えない何かを見ている。」と述懐しています。(板東元『夢の動物園−旭山動物園の明日−』角川学芸出版、2008)

動物の特性、能力を研究して動物園の展示に生かすことと、子どもの特性、能力を引き出すための研究をすることとは酷似しています。教材研究と子ども理解こそが授業の根っこです。

運動会に向け、忙しさは募りますが、今年の研修はどの教科で、どの単元を試そうか?子どもにどんな力をつけようか?は、いつでも念頭にあってほしいと思います。

“一隅” H22. 3

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− 「西浦教師塾」板東元 −
4/30(金)は好天に恵まれ、素敵の遠足になりました。熱海、姫の沢公園はかなりよい春の遠足場所かと思います。

前日4/29(木)に偶然NHK午後6時10分からの番組、「旭山動物園・園長の挑戦 羽ばたけオジロワシ!野生の力をとり戻す」を見ました。内容は素晴らしいものでした。園長・板東元氏が旭山動物園を経営するにあたり、前の園長の意向を引き継ぎ深化させている様が紹介されていました。

ペンギンの行進、シロクマのダイビング、アザラシの円筒移動はどれも該当動物の習性を熟知していることと、動物園を訪れる観客を喜ばせたい思いが合致したことが絡み合って編み出された動物を見せる旭山動物園独自の具体策です。

それまでの動物園は単に檻に入った動物を人間が対面する様式で見ることが当たり前でした。板東園長たちはこの常識を覆します。

そこには私たち教師が子供たちを教育する営みと非常に近いものを感じます。何より教材研修と子供理解が基盤です。

動物の習性をよく知ること、子供理解です。どんな環境なら伸び伸びと与えられた施設の中で活動できるのか、観客がいても動物の習性を見せられるのかを考え、試します。オジロワシの習性を知った上で、ワシが住むにふさわしい小屋を作り、入園者に見てもらうまでを番組にしていました。

むげなるかなです。

(平成22年 5月 6日)

“一隅” H22. 2

− 「西浦教師塾」ほんものの指導とは? −

1 小出義雄に学ぶ
沼津信金60周年を記念して行われた小出義雄陸上監督の講演会内容が沼津朝日新聞の記事(2010,4,18)として掲載されていました。

高校の教諭時代、高校総体陸上競技会場で予選敗退した選手を叱責する監督の姿を見て、「力を出せずに予選で敗れるのは教え方が悪いから」だと怒る監督を疑問視し、「次は頑張ろう!」と敗れてもほめることで選手は喜び「俺もやればできる」と考えるようになるのだからほめて育てることが基本だと述べたといいます。

金メダルを取ったランナーを育成する段になると、「金メダルは難しいと思う人は取れない。金メダルを取るためには、どうのような練習をすべきか、どうしたらいいか、常に、なぜ、なぜ、と考え、工夫しなければならない」と、まさに教師が授業をよくする時、子供に教える時の心の向きについて諭しているのと同じ内容に触れています。

2 鈴木重子に学ぶ
浜松出身のジャズシンガーの鈴木重子さんは若かりし頃、ニューヨークのジャズクラブ、ブルーノートでライブをしたことで名を馳せました。読売新聞に彼女の中学校時代の音楽の授業のようすが紹介されています(2010,3,31)。

静大附属浜松中学校の野中昂(たかし)先生の音楽の授業が音楽家の原点だと彼女は言います。授業のしかたは大変ユニークで、「好きな楽器を自由にやってよろしい。最後に発表会をやろう。」と投げかけ、仲良しの友達とバンドを組み、当時の流行歌を練習したのだそうです。

その折、野中先生は「ここはどうやりたいの?」「ここはもっと弾かないの?」 とニコニコ練習を見守りながら言葉を掛けたといいます。だから、曲のイメージが膨らんだと。

石川啄木の短歌を曲にする授業では、「どんな風景だ? 海の色は? どういう天気なんだ?それでどんなメロディーが浮かんだ?」と野中先生は助言したと述懐します。

「合奏する楽しさも、曲を作る喜びも、みんな先生が教えてくれました。」と。
教師冥利につきる話です。

しかし、ほめる教育の小出先生も浜松の野中先生の自由教育?も両先生の力量があったからこそ実を結んでいます。
教師自身の力量を見極めず、そのやり方(手段、方法)だけを真似ると全く逆の教育になってしまうと私は考えます。
みなさんはどうお考えですか?

(平成22年4月27日)

“一隅” H22. 癸

2学期から、休日に「一隅」の平成22年度版を読んでいただければ幸いです。

− 「西浦教師塾」教師編 −

4/22(木)、3年生のリコーダー講習会の日を私は一年間待っていました。

教え方が素晴らしいと前教頭が聞いていたからです。今年は、授業の実際を参観させていただけました。噂に違わぬ素晴らしい指導力をもった先生でした。

小楠先生はリコーダーの持ち方や指使いの指導をするため全員の集中を高めるとき、「見て−。」を連発しました。もちろん、見ていないその子めがけて誇張して言います。
「見て−。」は、ちょうど小さな子が親に何かするとき、「みてー。」と要求する口ぶりそっくりです。

授業後に校長室で聞いてみると、小さな子が言う台詞をそのまま使っているとのこと。3年生は、写真を撮るから笑ってと、カメラを持つ仕草を手ですると、あたかもそこにカメラが構えられているかのように反応できる学年だから、「見て−。」は有効なのだと小楠先生は言います。10歳の壁、抽象概念獲得年齢の前に位置する3年生は、まだ具体的な指示でないと効きめがでません。なるほど、「見て−。」の大げさな仕草と口ぶりは効きます。

おどける時とおだてる時、そして真顔で聞かせる時のめりはりが非常にはっきりしています。「ちょっと3年生には難しい問題だから無理かな。どうしようかな。」と3年生のやる気を挑発します。そこまで言うならやってやろうじゃないか。3年生は挑発に乗ります。「〜たい。」の成立です。

3年生の集中する顔を目の当たりにし、私はすぐに林竹二の写真集を思い出しました。小野成視が撮影した1976に出版された林竹二の授業での子供たち、大人達の姿を撮影した写真集です。その眼がすごいのです。写真で見て、学びを深さが推し量れるのですから、きっと林竹二が授業をしていた生の教室はもっと学びのすごみが感じられる空間となっていたことでしょう。

小楠先生の指導は、よどみなく肝心な教えを確かに授けるほんものの授業でした。「学ぶ楽しさ」の大前提は教師の深い教材研究の暁に見える素晴らしい光景です。
目指しましょう。ほんものの教師を。授業の主役は教師ですから。

(平成22年4月26日)

磯の香・9月号をアップ

学校だより「磯の香9月号」を8月30日に配布しました。
地域へは8月31日の定例会で配布し、以降回覧していただけます。
本ホームページにもアップしましたので閲覧してみてください。写真データが鮮明です。

“一隅”35

− 俵万智が描く小学校の先生 −
サラダ記念日で有名な歌人・俵万智にこの4月(平成22年度)に小学校1年生になる息子さんがいるのだそうです(「総合教育技術」2010,3月号,第64巻第15号)。インタビューに答えて俵は次のように小学校の先生に期待する具体像をイメージしています。

「小学校の先生には、ある種の厳しさがあってもいいと思います。最近は優しくてお友だち的な先生が多い気がするんですけど、ピリッとした、いい意味での厳しさをもっている先生に出会えたら幸せだなと思います。

子どもを叱るのって難しいですよね。私も、ほめることはできるけれど、果たして上手に叱れているだろうかって思うことがよくあります。だから、虫のいい話なんですけど、子どもからはちょっと距離のある他人で、でも深く関わる大人として、先生には凜とした信頼できる厳しさをもっていてほしい。子どももきっと、親とかおじいちゃんおばあちゃんに叱られるのとは違う意味で、背筋がピンとすると思う。」
(平成22年3月16日)


以上、俵万智さんの話題をもって「一隅」の連載を終了します。夏休みの間おつきあいいただき感謝申し上げます。平成22年度の第2学期が明日から始まります。「西浦大好き、もっと好き!」を合い言葉に西浦小の子が健やかに成長できるよう尽力するつもりです。これからも応援の程宜しくお願い申し上げます。(平成22年8月29日)

“一隅”34

− あそびの世界へ −
福山雅治は時の人。NHK大河ドラマ「龍馬伝」は高い視聴率を維持しています。 この人気は龍馬の生き方もさることながら、福山雅治の魅力に負うところも大だと感じます。

朝日新聞に福山雅治へインタビューした記事が掲載されています(2010,3,15)。
福山は言います。「答えをみつけてから動くんじゃなくて、答えに向かうために旅をするとか人に会うとか、とにかくやってみる」龍馬の生き方は福山の人生に重なるのだと。そういえば、福山は俳優、歌手として絶頂期に一旦芸能界から退き、休憩した後、カメラに夢中になりました。確かに答えをみつける旅をしています。

福山は喝破します。「どんな身分であっても、おもしろいとか、おもしろくないかでつきあう」価値が尊いと。社会的に縛られない融通無碍の生き方への憧憬は、時代を超えて求められる思想です。別言すれば「あそび」と表現していいのではないでしょうか。

このあそびの境地を体現した偉人の一人に漢字の原義を究明した泰斗、白川静がいます。産経新聞の文化欄、「日本人とこころ」に白川静が取り上げられています(2010,3,14)。記事の中には、白川の次のような言葉が紹介されています。

「私はそういうなかで遊んでいたように思います。好きなことを、好きなように楽しんできたのです。どのような苦しみも、時は楽しみに変えてくれる魔術をもっている」
白川のいう「そういう」とは、白川の門下生、高島敏夫の解説によると、白川が行った「甲骨文や金文を丹念に書き写し、文字ごとに使用例を抜き出して、用例索引として整理していた。そうすると次第に、特定の文字が、どういう場所でどういう風に使われているのかがわかってくる。」という「砂を噛むような地味な作業」をしたことを指しています。

地道な作業をすれば「体が覚える」、「頭の中に辞書ができる」と、白川が弟子の高島に言ったそうです。

白川静の生き様は一意専心といわれる一つことを貫く生き方です。先の龍馬や福山の生き方と相反するように見えますが、どうして実は表裏一体に繋がっています。追究する心の向きは「執心」という言葉で表現できます。龍馬、福山、白石と三者とも執心をたぎらせた生き方として軸が一です。

私に言わせればこうした生き方こそが「あそび」です。期せずして白石がいう「そういうなかで遊んでいた」と言葉化した世界です。私たちもそして子供たちも「あそび」の世界で生きようではありませんか。
もっとも、子供の場合は正真正銘の普段通りの「遊び」でいいのです。そのうち「あそび」に繋がりますから。

(平成22年3月16日)

“一隅”33

− 生きる力って? −
佐藤芳之、新聞記事で初めて知りました(朝日新聞、GLOBE34,2010,2,22)
マカダミアナッツを世界の市場に広げた第一人者だと紹介されています。
1974年、アフリカのケニアで現地の7人と立ち上げた会社、KNCは今、年商36億円、従業員も3500人を超えるそうです。昨年、36年間をかけて育てた会社の株を幹部社員に譲渡、経営もケニア人に委ねたそうです。「ここに来たのは、彼らが会社を経営できるよう、手助けするためだ。もう十分やっていける。」とする考え方によるのだとか。

「アフリカの人々を『安い労働力』としてではなく、この地に生きる一人ひとりの人間と見る哲学」が佐藤芳之の生き方、社長としての行動基盤だといいます。利益だけを追求せず、現地の人の生き様に係わるスタイル、例えば毎月25日の給料支払いの約束(遅刻、無断欠勤が激減)などを実施したのです。

教育の営みも佐藤芳之の経営と一脈通じます。
子ども一人一人が自活できるように仕向けることが「教育」でしょう。

佐藤芳之は黒沢明の「七人の侍」に描かれた7人の武士にあこがれるともいいます。戦国時代野武士の襲撃におびえる村人を雇われた7人の浪人が守り抜く活劇です。「ひとたび解決すれば静かに村から立ち去る」格好いい生き方がモデルだともいいます。

教師は立ち去らなくとも期限の制約があります。大抵1年です。特に小規模校の担任は1年だけです。立ち去るとき、子どもの自立、自活に益したかどうか、むろん1年は短すぎです。本来は義務教育9年間は必要ですが。少なくとも係わった1年間でどれだけ一人一人の成長に係われたかが大事です。

平成21年度が終わろうとしています。一人一人の学級の子たちに思いを馳せてみてください。その成長にどう係わったのかは、ひたすらその先生の存在が大事です。教師塾を構想する所以でもあります。

佐藤芳之曰く、自身の人生を振り返り、人間の生きる力は第1に「忍耐力」、第2に「体力」、第3に「運」だと回想しています。
私たちの生き様を振り返るとき、どうでしょうか、生きる力を三つあげよと問われたら。運は大切です。引き寄せられますよ。必ず。見てくれていますから。

(平成22年3月15日)

“一隅”32

− 本当に大切なもの −
平野啓子は沼津市出身の元NHKキャスターですので知っている方が多いはずです。朝日新聞静岡版に「インタビューしずおか」という連載記事があります。
平成22年3月11日は平野さんが登場していました。語り部として活躍される平野さんの話から授業の成り立ちと語りが非常に近いものであることがわかります。竹取物語などの文芸作品を暗唱し、舞台で語る活動を25年もされています。その語りの実際が授業に酷似しているのです。

「目線をお客様に投げかけながら語るのでアイコンタクトが自然と生まれ、客席から返ってくる、何か目に見えないものが感じられる」といいます。

「波動」だと平野さんは言います。

「それを感じながら次の言葉を語っていきます。ほんのちょっとずつ間が変わり、その場ならではの伝え方になっている」とも言います。

まさに授業です。教師が発する言葉を子どもが受け取り、やり返す時のことです。波動を感じながら授業をすれば、自ずと教師はその問いかけを変えたり、間合いを作ったり、待ちの時間を設けたりと波動が収斂される方向を探るのです。こうした作業、授業は分析的に捉えることも可能ではありますが、何回も鍛錬して習得する職人的技の一つです。波動は教室の「雰囲気」という表現で教育界では喧伝されています。

先の平野さんはインタビューに答えて言っています。

「何かを本音で語り合ったり、大事なことを伝えたりする時はやはり、ちゃんと向き合って、肉声で言葉を交わし合うことが大切」だと。「同じ空気を感じ」るから「信頼関係」がつくられるとも言っています。

どうでしょう。授業にうんと近いものを感じませんか。

(平成22年3月15日)

“一隅”31

− 挨拶 考 −
確かに数字として挨拶ができない西浦小学校児童の実態はあぶり出されています。
ここ2年間の学校評価として実施している保護者、児童アンケート結果や長井崎中学校3校連絡会の席上でもこのことは話題に上がりました。
しかしです。平成22年3月2日に実施した学校関係者評価委員会における「挨拶」に係わる西浦地域の皆さんの見識には感動すら覚えました。
当日の委員のみなさんの考えを要約すると次のようになりますか。
「仕方ないよ。知っている人には声をかけるが、知らない人にはね。そう、西浦の子は恥ずかしがり屋なんだよ。長井崎中に行くようになれば立派に挨拶できるようになるよ。今までの子もそうだったのだから、心配はなしだよ。」

挨拶の励行と徹底は教育界においては自明のことであるので、何とか学校の責任においても挨拶ができる子を育成したいと、誰もが切望します。
教育界の中で挨拶至上主義を標榜しない方として浜松市教育長の高木伸三氏をあげることができます。高木教育長は、今から一年半ほど前の静岡新聞夕刊「窓辺」欄(H19,10,18)に「顔見知り運動」の必要性を提唱する随筆を書かれました。挨拶は基本的に顔見知りの関係性の中で取り交わされる儀礼であると、認識することが重要です。高木は「子どもが小さいときから、親はそれぞれの地域の行事に子どもを参加させ、地域の大人とともに活動する場面を多くしていくことによって人間関係を広めさせていく」ことに価値を置き、顔見知りになることを勧めています。
先の西浦小学校関係者委員の考え方と一脈通じるところがあります。

大丈夫、3年間続けた全国学力学習状況調査でも西浦小の6年生は「近所の人に会ったときは、あいさつをしている」し、何より群を抜いて「西浦地域の行事に参加している」子どもたちなのです。地域の人たちとは旧知の仲、顔見知りなのです。

児童精神科医の古荘純一は著書『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』(光文社新書、2009)の冒頭に、学校での挨拶を引き合いに出して次のように述べています。
「今の子は小学校低学年でも、疲弊しています。表向きは元気いっぱいに見えるかもしれませんが、疲弊しています。とくに、学校の先生の中でも、若い先生はそれに気づくかもしれませんが、管理職の先生になるとそれがわからなくて、「子どもは元気いっぱいだから」などと思っていますし、そう口にもしています。たとえば朝、学校の校門の前で、登校してくるみんなに挨拶をすることが最近はさかんに行われていますが、疲れている子どもに元気いっぱい挨拶をされても…、と私などは思ってしまいます。正直言って、あれはやめてほしいとさえ思ってしまいます。」

私も週に3回、子どもたちに挨拶していますが…。

(平成22年3月8日)

“一隅”30

− 軸 −
静岡県教育委員会発行「Eジャーナルしずおか」平成22年1月26日号のコラム欄「ぷりずむ」に、イラスト作家・赤池キョウコさんの「力強いオーラを求め、生き様を見直す時代」なる一文が掲載されていました。
「味の抜けた優しい言葉で『モノわかりのいい大人』を演じている」現代の大人に苦言を呈し、今時の子どもは実は「力強さ」に飢えているのではないかと説を唱えています。

赤池がいう「皆、メンター(良き助言者、指導者)を潜在的に求めている」と、私も思います。特に、指導者をです。

指導者は導くという漢字を使います。誰をどこに導くのでしょうか。誰は明らかです。導かれたい御仁です。学ぶ人と換言できます。

問題なのは導く先です。どこへ?ここが難しいのです。だから先人が導いてくれた地平を学びます。

火曜の夜は週一回の習字の稽古日です。昨夜、先生とお話させていただきました。稽古日までに自学で1枚ずつの楷書、行書、細字を仕上げるのですが、「稽古の時に先生に指摘されるまで自分ではどこがポイントなのかわからない、先生に指摘されると、なるほど書いた文字が変化するのですが。」

先生は、「私もそうです。」とおっしゃいました。先生にも先生がいるというのです。平形先生(静岡大学教授)だといいます。そういえばいつも先生の口から「平形先生は…。」との発言が多くあります。書の世界は臨書に値する中国の文字、漢字が確定されています。日本のかなも平安時代に書かれた文字が定式となっています。誘いはその文字の形、心に近づくことです。そこを基本とします。桃栗三年、私も何とか三年は学び続けようと自分で決めています。

指導の力強さは、導く地平が見えていることが要です。しかし、日本における教科教育は歴史が浅いため、見える地平がまだ定まっていない可能性が高いと言えます。国語科も教科として成立したのは1900年です。今から百十年しか経っていないため、国語科の指導方法は百花繚乱の例えで話題になるくらい定式はありません。

その分、教師に学ぶ必要があるといえます。ものがわかること、それは子どもの世界ではなく、大人のしかも教える立場にある私たち教師にこそ求められる基本的な立ち位置です。学ぶ教師が求められます。そうすれば、よい意味で「強い指導」が可能になります。

赤池キョウコは、一方で上から目線の説教はダメだと現代の日本の人間像に合わせた教育を推奨します。上から目線での説教を戒め、真似るべき値打ちが大人側にあれば自ずと子どもは真似るからこそ人生に「軸」をもった生き方を示せと提言してくれています。軸のぶれは危険です。軸の回転力がないと倒れてしまいます。教師が学び続ける必然を諭してくれています。

(平成22年3月3日)

“一隅”29

− いい授業 −
平成22年2月20日、三島市民生涯学習センターで開催された静岡県総合教育センター主催の公開講座「研究報告」の講演会のみ参加し、奈須正裕(上智大学教授)の「豊かな学力の確かな定着」を拝聴しました。
授業に対する熱い思いを感ずる学者でした。

私は10年ほど前、仙台市で2学期制を先行的に試行していた小学校を視察したことがあります。偶然、その学校は「総合的な学習の時間」の市の指定研究をしており、偶然にもその視察日が研究発表会の日でした。そして、指定研究の講師として招聘されていたのが奈須正裕だったのです。
昨年、9月30日に沼津原小が講師として奈須正裕を呼び、話しを聴く機会があると知り、研修主任Y先生に話しを聞きに行っていただきました。私の期待を裏切る教育的内容の濃い話だったとY先生から報告を受け、校内研修の資料として提出してもらいました。

さて、今回の奈須正裕の話から先生方に伝えたい点をいくつか紹介します。

,いぜ業とは?
・授業者にも、子供たちにも、参観者にも、しみじみとしたものが残る授業(重松鷹泰)

・子どもにとって意味ある「活動」を通して、教師から見ても価値ある「内容」を実現する(授業)

※あれかこれかになっていないか?活動(子どもの都合)と内容(教師の都合)の折り合いをつけることを考えたい

教科の本質(内容)と子どものワクワク(活動)に折り合いをつける。
○感動する(体が動き出す)→発見、驚き、もっとやりたい、家でも続きをしたい、
人に伝えたい・しゃべりたい

・授業は美しい。イメージとして美的なもの、齋藤喜博は授業とは芸術的なものだといっている。

・脳みそから汗を出す授業を!放課後になったら思いっきり体を動かして遊ぶようなら授業はうまくいっていない。

・授業がうまくいくと子どもは変わる。授業がいいと子どもは落ち着く。

校内研究とは?(校内研修)
授業を生業とする限り、人知れず授業に関して研究することは当たり前。研究は特別なことではない。冊子を作っても読んでない。そんな冊子を作ることが研究ではない。

自分で授業を振り返るために残す授業研究物には価値がある。自分のため、明日の子供たちのためにもっといい授業をしたいと考え、まとめることには価値がある。

授業時数の問題
フィンランドをはじめ学力が高いといわれる国の授業時数は少ない。多くすれば学力があがるなどあり得ない。授業の質を高めることが大事。1時間で伸びる授業をめざせ!ポーンと跳び上がる授業、教育的瞬間をめざせ!単位授業時間の質を高め、濃くすること。


い瓩兇攻技嫣に迫るために
学期に1本の単元でいいから子どもの活動と教科の内容が折り合う授業を実践すること、子どもはどの子も成長したがっている。
授業は難しい。すべることもある。エレガントにすべるようになろう。高みを求めて学び続ける教師に!
指導要領は批判的に吟味すること。なぜ、国語科授業で音読をさせる活動をさせるのか?先生が言うから授業として活動する子どもの情況から、活動が子どもに入り込み、主体的に動くように仕向ける授業を!

(平成22年2月23日)


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学校
4/6 着任式・始業式・入学式
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