学校日記

“一隅”№11

公開日
2010/08/12
更新日
2010/08/12

校長メッセージ

−群れて遊ぶことの意味−

朝、ランドセルを長椅子に放り投げると一目散に運動場のサッカー軍団の一員としてボールを蹴るゲームやシュートゲームに熱中します。
西浦小の朝の光景です。
主役は3,4年生の男子たちです。今風の言い方にすれば、そこはまさにソーシャルスキルの学びの場です。もっとも、そんな言い方は最近の話、昔はみな群れて遊んでいました。大人の目の届かないところで。
規制がないようで厳然とした制約を肌で覚えます。ガキ大将には逆らえないこと、そうするには自分がガキ大将になること、でも無理です。力が及びません。ガキ大将は何より遊びの天才です。大将と一緒に遊んでいると楽しいのです。山に連れて行ってくれます。誰の山?いいんです。大将がいるのですから。大将の命令で、敵味方に分かれて対戦、山肌を転がります。むろん、泥だらけ。馬跳び?(木を背に一人が立ち、次々に子どもが馬として連なり、最後の子は馬跳びをして、ジャンケンをして交代するといった遊び?)、石蹴り、ゴム跳び、ビー玉、メンコ(パンチー・私の地方の言い方)、釘さし等々、徒党を組んだり、同級生どうしだったり、少年だった私は、さんざん遊びました。
そう、あれから40余年が経つのに鮮明にあの遊びを思い出せるのは、楽しかったからでしょう。そして、遊びを仕組んでくれたガキ大将への恩恵を今更ながら感じます。ガキ大将、今は我が実家の前で喫茶店のマスターです。副ガキ大将は市会議員兼大工です。
遊びがもつ子どもの世界での価値は計り知れないものがあると思います。昔はよかった式の硬直化した考えをしようというのではありません。けれど、朝のサッカーに興じる子たちや昼休みに木の枝にぶらさがり「ブランコ」だと言いながら身体を揺する1年の女の子を見ると、授業とは違う自由度の中で遊ぶ子どもたちが、遊びを通して身に付ける力を私たち大人はもっと高く評価したいと思うのです。

遊びは昔、役所の一部署として存在していました。「あそび部」です。奈良時代の話ですが。さらには古事記には有名な天照大御神が天の岩戸に隠れた時の一節があります。アメノウズメが神々を集めて踊った場面です。「あそんだ」のです。と、表現されています。遊びは太古から人々の魂を揺さぶるものだったのです。
私たち人間にとってとても大事な行為です。
ましてや子どもにとって遊びは彼らの仕事だといってもいい価値をもつものです。
教師としてそこだけは是非わかっていましょう。そして、大いに子どもと遊んであげてください。一緒に魂を振るわせてください。

(平成21年2月16日)