学校日記

“一隅”№18

公開日
2010/08/18
更新日
2010/08/18

校長メッセージ

−手間をかける−

初めての保育所との合同運動会が間近に迫り、練習に精を出す日々が続きます。思った以上に日差しがきつく、体力的に疲労が蓄積します。どうか、メリハリをつけ、「あそび」の部分を工面してみてください。
メリハリとして、手を抜くところと「手間をかける」ところを見定めてみてください。

デジカメの話を6月号の「磯の香」に使いましたが、産経新聞のH21,5/26(火)に平山一城論説委員長の「デジカメ流と『子育て』」と題された一文が掲載されていました。

作家、赤瀬川原平がデジカメを使わず、フィルムカメラを使う理由を「(デジカメも)結果が写真であることは同じだが、写真を撮るという気持ちのところで、少し食い違う」と述べていることを引用しています。平山氏はデジカメ使用に関する赤瀬川の件を子育てと関連づけ、「結果を急ぐな。幼児を叱るだけでも、甘やかすだけでもいけない。…中略…じっくりと手間をかけることだ。」と論を結んでいます。

一方、民俗学の泰斗、折口信夫を引き合いに出した朝日新聞のコラム、「天声人語」(H21,5/16)は、略語を好まなかった折口信夫と「モンペ」(モンスターペアレントの略)などの略語があふれる現代社会の危うさを比べ、「言霊」研究に勤しんだ折口信夫が言葉の中に潜む略せない魂を大事にしたことを紹介しています。

手間をかけて創り上げることの大事さや意味合いを理解することが、人間の所作としてきちんと略さないで言葉を発することであったり、簡便な方向とは逆の不便さを通した写真として結実させる生き方(エチカの鏡)となるのです。

運動会の立て看板ができつつあります。保育所との合同運動会として「手間のかかった」立派な看板です。むろん立派なのは、看板の文字の一筆一筆にYさんの魂が込められているからです。

教師が授業にワークシートを使うことを戒めたのは、白石範孝先生です(『白石範孝の国語授業のつくり方』東洋館出版社、2009、p23,24)。白石先生は「文字をていねいに書かせる」ことにこだわります。そこに手間をかけるのです。

何に手間をかけ、何は略してよいのか、この見定めこそ、経験を積んでいるベテラン教師から大いに学んで下さい。そして、教えてあげて下さい。

(平成21年5月27日)