学校日記

“一隅”№24

公開日
2010/08/22
更新日
2010/08/22

校長メッセージ

−教師主導型授業再考−
以前、前任校の原東小に用事があり足を運びました。夜でしたので玄関先で教頭先生と話ししました。そこに、先頃結婚したばかりの若手教員が顔をのぞかしてくれました。教頭先生が私に報告してくれます。「○○先生は、いつもがんばっています。教師主導型授業の脱却がテ ーマです。」と。すぐに私は答えました。「そうするには徹底的に教師主導の授業をめざせばいいのだよ。」と。真意を掴むには時間をかければいいと思います。

が、それでも老婆心が頭をもたげます。昨日(平成21年度)行われた市一斉授業研修会(小・国語)でその若手教員を見かけましたので、グループの協議 会が解けた移動時間に少し話しました。「教師が 前面に出る授業」についてです。むろん、若手が想定している教師主導型と私が比喩的に諭したつもりの教師主導型とは言葉は同じでも内容が違うものであることは言うに及びません。

どうでしょうか。今朝、職員室から昨日の授業研修会での自主的な情報交換がされていました。どんな授業で、どんな質疑応答か。
私たち教師が本気で取り組み、研修すべきは教師の授業力です。付随するものとして教材があったり、子どもの姿があるわけですが、中核は教師そのものであるべきです。「西浦教師塾」を立ち上げているゆえんです。この前、回覧した県教委学校訪問をしている東部支援班の指導主事たちが発したコメントには、教師の指導力育成が遅々としている実態の嘆きが報告されていました。一朝一夕には指導力はつきません。

教師が教師としてどこに力点を置き、どんな教師をめざし、日々の授業でどう意識的に子どもの真実と対峙するかがすべてです。むろん、全ての教科、領域では無理ですので、特定の教科に絞ったり、特定の場面に絞ったりして研鑽します。その場合も、是非先達をあてにしてください。

教師塾の基本は教えを請う側にあります。教える側は盗んでもらうようさりげなく係わってください。若手はどん欲に欲してください。

本物の一人前になるには20年の歳月が必要かと感じます。欲し続けてです。40歳を過ぎないと見えない世界があるのです。欲し続ける人には見える世界でもあります。
授業は生き物です。子どもから学ぶとはよく聞く言い回しですが、本当に実感するには相当の努力が教師側に必要です。
互いに精進あれ!

(平成21年11月19日)