“一隅”№26
- 公開日
- 2010/08/23
- 更新日
- 2010/08/23
校長メッセージ
−良師良問−
「あと3ヶ月で2年生だね。4月になると2年生になります。ということは、この西浦小に…。」この…。が大事です。
1年生の子は次から次へ思いついたことを口に出します。「新一年生。」「4人だけどね。」「寿光からは来ない。」それでも子供たちの発する情報をすぐさま拾い上げることなく、待ちます。しゃべらせて絶妙なタイミングで子どもに切り出します。
「新1年生と遊ぶ会をします。保育所のO園長先生と電話しましたが、中身は決めていません。」会の中身を検討する大作戦の打ち立ては、板書にて示します。
「保育園のライオン組の時、小学校に来て、ドキドキ、ワクワクした会の中身を先生に教えて。」ここからは、キーワードを子どもに落とすために意識して「ドキドキ、ワクワク」を多用します。
「ドキドキ、ワクワクさせるためにどうするか考えて、作戦が頭の中にある子は椅子を持って、前に集まれ!」
教師の指示、発問は子どもに落ちてはじめて価値が生まれます。よく通る発問だったのは、日頃の指導の賜です。子どもの頭の中に会の作戦が描かれなければ、次の行動を起こせません。単に考えが一人一人の子どもの中に存在するかどうかではない、よいプレッシャーを与えます。
すかさず、移動できない子たちの個別指導にあたります。意味ある個別指導は、プレッシャーを与えた後だから効果が期待できます。助けてほしい状況を教師が作った訳ですから、自ずから子どもは教師のかかわりに感謝します。「よかった、来てくれて。」と。教師が聞いてくれる安心とアドバイスにより車座の一員として加わるのに時間はかかりません。
車座も妙です。互いに顔を向かい合わせる座り方ができる人数がよく計算されています。場の移動と場作り、どちらも普段とは違い、すこしだけハレの雰囲気をもった意見交換の場であることを子供たちは日頃の指導を通して、了解しています。とりたてて話をコントロールせずとも子どもたちは次から次へよく発言し、話を発展させていきます。
「好き勝手にしゃべっていると。」一通りじゃばらせておいて、諫めます。子どもの思考を焦点化します。会の内容と役割分担はそれぞれの子の思いが交錯し、勝手が強い子と状況を認識できる子に分かれ、葛藤が生じます。
この葛藤こそが学びの根源です。
困ったことこそが、問題を解決するにはうってつけです。しかも、自分達でまいた種です。切実感があります。生活科や総合学習の利点です。課題が身近な問題から発生させられる必然をもっているからです。
野口芳宏は国語科を専門とする授業実践家で、退職後、大学で教鞭を執っている先生です。明治図書から発行されている『子どもは授業で鍛える』(明治図書、2005)は野口の多くの著書の一冊です。実践家として学ぶべき視点が多く示されています。
その中に、「教師中心・発問中心」と題された項があり、さらに視点が二つ示されています。
「1 教師中心・発問中心でよい」、「2 良師良問」です。
野口は「優れた問いは優れた教師が生み出す。」ことを「良師良問」と表現します。「自分の力を磨かないで他人の作った発問ばかり使っていちゃだめなんです。」「優れた問いを出せば、優れたことを考え始めます。くだらない問いを出せば、くだらないことしか考えません。授業の方向付けというものは問いで決まります。」と宣言されています。
全面的に賛同します。授業、教育の主役は教師です。子どもではありません。子どもは学校の主役なのです。
こうした視点からH先生の授業や指導案を見てみると、「昨年、自分がちが招待されたときの様子や気持ちを思い出すような言葉かけをする。」「12月に2年生からやきいも大会に招待されたときにもらったことなどを思い出させるように言葉かけする。」と指導案上で発問の予定がされています。その場にならねば具体的な発問を発することはできないが、コンセプトは明らかにしていく姿勢です。
アドリブというには過ぎるかもしれませんが、優れた芸人や音楽家はアドリブを多様します。客に合わせ、その場の雰囲気に合わせて表現を変えるのです。しかし、根本や方向性がぶれることはありません。こうした営みは授業に似ていると思います。
授業とはつとめて芸術に近いと思います。
特に舞台芸術や落語、漫才などのライブに近いと思います。当意即妙で観客の雰囲気をつかみ、切り返すことで客の心を離さないから、その世界に浸った喜びが「よかった」「感動した」となって残るのだと思われます。
○待つ、教師のかかわり具合を学ぶ
事後研修会(会議室)の席上、H先生は次の視点で自身の授業を振り返られました。
・価値付けること(教材、子どもの学びの事実)
・板書の意義(学びの側面を支援するツールとして)
・教師の立ち位置(学びを統合する役割)
教師として重要な視点を自分の課題として内在されていることに敬意を表します。古の教師たちも多く課題として挑戦し続けてきた教師の道です。先人に学び、子どもに学び、教材を咀嚼して教師の本道を歩んで行かれることを期待します。K先生が指摘されたように「待つ」ことができる教師は子どもを見ようとしている何よりの証しだと思います。
教師の基本ですが、難しいものです。「待つ」とは?かかわりとして「待つ」とはどういうことで、どんな意味があるのか?古の先人も悩み、追究しています。まずは書籍から学ぶべきかとも思います。
互いに教師道を精進しましょう。
(平成22年2月1日)