学校日記

“一隅”№27

公開日
2010/08/24
更新日
2010/08/24

校長メッセージ

− 一喝する教育 −
田邊福夫「一喝する教育」(「月刊 国語教育研究」№454 H22.2月号)は一読をお勧めします。
論者の経歴は、元島根県警察学校校長、田邊福夫氏。日本国語教育学会が発刊する国語専門の月刊誌にどうして田邊の論を掲載したのか興味がそそられます。

内容は大変濃く素晴らしいものです。
田邊福夫の「一喝する教育」を読み、今から約20年前1992年に出版された『現代のエスプリ−現代の教育に欠けるもの−』至文堂の中に採録されていた河合隼雄の「成長に必要な抑制者(インヒビター)」を思い出しました。副題は「規律と感性をいかに回復するか」です。

河合隼雄は、母親や教師に対しても暴力を振るう家庭内暴力や校内暴力が社会問題化する時代状況に対して、あまりにも「管理されたよい子」として育てられ悪に対する耐性が低いからではないと案じ、「個体の成長に必要な抑制者(インヒビター)の存在」の重要性を論じます。人間の思春期は巨大な嵐が生じていて、嵐の渦中は未分化で巨大なエネルギーだから、そのエネルギーを個人が自分のものとして使用できるようにするためには、「巨大なインヒビターが必要」だと言います。

「青少年に対して、親や教師が不退転の壁として存在するとき、彼らの巨大なエネルギーがそれにぶつかり、分化し統合されて、青少年の成長が生じるのである。この抑制者を失うとき、エネルギーは単に爆発するだけで、自分のものとはならない。それは境界をこえて拡散してしまうだけ」だと指摘します。

続けて河合は指摘します。「個性を自由に伸ばしてゆくためには、強力な抑制者が必要で」、「子どもを理解するとか、自由を尊重するという美名に隠れ、その本質を理解することなく、自ら抑制者として子どもの前に立ちはだかる義務を放棄した大人が、随分と多かったのではなかろうか。」と。

時代が今とは違います。平成4年がこの本の出版年ですから。教育界が舵を大きく「個が生きる教育」にきり始めた時代です。私もこの時代、香貫小に在籍し、小学校国語科の指導研究員として市内のみなさんに公開授業をした頃です。4年生の担任として「月の輪ぐま」の授業を公開し、事後の全体研修会で「こんな授業を見に来たんじゃない。個が生きる授業を見に来たんだ。」と一喝された頃です。

先の河合隼雄はインヒビターについて注意を促します。「ぶつかってくるものに対して、退くことなく立ちはだかるが、自ら動き出して相手をからめとることはしない。」と。「ただ、境界を無分別にこえようとする者を拒否するだけ」だと戒めるのです。「大人が壁として、子どもたちの力を正面から受けてこそ、真に子どもとは何か、自由とは何かを理解できるであろう」から「大人は、自らも生きる者として、人格を賭けてインヒビターにならねばならない」と訴えます。

河合隼雄はその後、神戸市で起きた中学生が犯した衝撃的な殺人事件「サカキバラ事件」を契機に少年の教育の立て直しのために、「とらいやるウィーク」を創設しました。キャリア教育の嚆矢です。1週間、実社会に中学2年生を実習させる教育です。大きな成果をあげたのは有名です。

河合隼雄が考えたインヒビターの具体策は実社会に生きて働いている先輩たち、人生を生きている先輩たちと仕事を通じて直に交わることだったと私は理解しています。

西浦小の教育目標を「西浦大好き、もっと好き!」とし、実社会との係わりを体験を通して学んでほしいとした所以とも一脈通じているのです。

(平成22年2月10日)