学校日記

“一隅” H22. №1

公開日
2010/09/11
更新日
2010/09/11

校長メッセージ

2学期から、休日に「一隅」の平成22年度版を読んでいただければ幸いです。

− 「西浦教師塾」教師編 −

4/22(木)、3年生のリコーダー講習会の日を私は一年間待っていました。

教え方が素晴らしいと前教頭が聞いていたからです。今年は、授業の実際を参観させていただけました。噂に違わぬ素晴らしい指導力をもった先生でした。

小楠先生はリコーダーの持ち方や指使いの指導をするため全員の集中を高めるとき、「見て−。」を連発しました。もちろん、見ていないその子めがけて誇張して言います。
「見て−。」は、ちょうど小さな子が親に何かするとき、「みてー。」と要求する口ぶりそっくりです。

授業後に校長室で聞いてみると、小さな子が言う台詞をそのまま使っているとのこと。3年生は、写真を撮るから笑ってと、カメラを持つ仕草を手ですると、あたかもそこにカメラが構えられているかのように反応できる学年だから、「見て−。」は有効なのだと小楠先生は言います。10歳の壁、抽象概念獲得年齢の前に位置する3年生は、まだ具体的な指示でないと効きめがでません。なるほど、「見て−。」の大げさな仕草と口ぶりは効きます。

おどける時とおだてる時、そして真顔で聞かせる時のめりはりが非常にはっきりしています。「ちょっと3年生には難しい問題だから無理かな。どうしようかな。」と3年生のやる気を挑発します。そこまで言うならやってやろうじゃないか。3年生は挑発に乗ります。「〜たい。」の成立です。

3年生の集中する顔を目の当たりにし、私はすぐに林竹二の写真集を思い出しました。小野成視が撮影した1976に出版された林竹二の授業での子供たち、大人達の姿を撮影した写真集です。その眼がすごいのです。写真で見て、学びを深さが推し量れるのですから、きっと林竹二が授業をしていた生の教室はもっと学びのすごみが感じられる空間となっていたことでしょう。

小楠先生の指導は、よどみなく肝心な教えを確かに授けるほんものの授業でした。「学ぶ楽しさ」の大前提は教師の深い教材研究の暁に見える素晴らしい光景です。
目指しましょう。ほんものの教師を。授業の主役は教師ですから。

(平成22年4月26日)