終業式 「わたしの主張」
- 公開日
- 2020/12/25
- 更新日
- 2020/12/25
学校の紹介
わたしの主張「偏見の壁を乗り越えて」
沼津市代表(静岡県入選) 3年 藤井 梓
(あっ、こっちに来た。)と逃げていく私。そこには寂しそうにたたずむおばあさんの姿がありました。
数年前、私の親戚には耳に障害を持ったおばあさんがいました。おばあさんは聴力がないため、うまく話すことができませんでした。話す機会が訪れても何を言っているのか、どういう言葉を返せばいいのか分かりませんでした。私はそれが嫌でいつも逃げていました。私はおばあさんとの間に壁を作っていたのです。
私はときどき、家族で祖母の家に遊びに行きます。祖母の家には耳の不自由なおばあさんが祖母と一緒に暮らしていました。ある時、私が妹とバレーボールをして遊んでいるときのことです。私の後ろから、ふとおばあさんの声が聞こえてきました。とても小さな声でした。「どうせ、聞き取れないだろう。」私はいつものように気付いていないふりをしました。すると、おばあさんがだんだん私に近づいて来ました。おばあさんが何度も繰り返す言葉は「どうぞ」という言葉でした。声が聞こえた方を見てみると、おばあさんが手におかしを持って立っていました。おばあさんは私たちにお菓子を渡そうとしていたのでした。私はお菓子を受け取り、「ありがとう」と小さな声で目をそらして言いました。気付いていないふりをしていた自分が恥ずかしくなりました。うまく話すことができないだけ、耳が聞こえないだけで、私たちと同じくらい話したいこと、聞きたいことがおばあさんにもあるのではないかと思いました。
おばあさんが私に話しかけようとしてくれていたのに逃げていた私。そのときは、上手に話すことができないならば、はじめから聞こえないふりをしたほうがいいと思っていました。しかし、おばあさんの一生懸命通じ合おうとする気持ちに考え方が変わりました。話しかけてくれた時はしっかりと話を聞いてみようと考えるようになりました。
初めは、おばあさんが話していることが分からず、困ることもありました。それでもしだいに、話していることが聞き取れるようになっていきました。言葉を返すときは、口をゆっくり、はっきりと動かすことを心がけました。そうしていると、前よりもおばあさんの笑顔を見ることが多くなりました。前までそれほど笑うことのなかった、おばあさんの笑顔を見られたことを本当に嬉しく思いました。私はおばあさん以外の障がいを持った人たちが、少しでも明るくなって欲しいと思うようになりました。私はおばあさんとの出来事を通して学んだことが二つあります。
一つ目は、障がいを持っていても私たちと同じように生活しようと頑張っている人がいることです。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、手足が不自由でも、私たちと同じように一生懸命生活しています。これを私たちは支えるべきです。
二つ目は、障がいを持つ人との距離は私たちの考え方次第でいくらでも縮められるということです。距離ができれば、困っている人がいることに気付けません。お互いを知ろうと歩みよることで、私たちはどのような立場の人とも心を通わせることができると思います。
「ささいな違いを乗りこえて、どんな人とも私たちはつながることができる」今は亡きおばあさんは大事なことを私に教えてくれました。
障がいを持った人と私たちでは、違う点がたくさんあります。しかし、そこで距離や壁を作っているのは「違い」ではありません。それは障がいをもった人たちに対する偏見の目です。私たちは心を通わすことができると信じ、自分たちから行動することが壁を乗りこえる第一歩なのです。私たちが働きかければ、大きく見える違いも、とても小さな違いに変わっていきます。そうすれば、寂しさを感じている人も笑顔になれます。困っている人も助けてあげられます。そのような温かな社会を目指し、私は本当の意味で偏見の壁を越えられるように心がけたいと思います。