学校日記

☆3月5日(木) 卒業生に贈る“この1冊”1

公開日
2020/04/05
更新日
2020/04/05

校長室発

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「アホは神の望み」

 村上和雄 著








天は見ているのです。
見ていないようで、必ず見ている。
何を見ているかといえば、どれだけ成果をあげたかではなく、どれだけプロセスを一生懸命に努めたか。
かしこく要領いいやり方よりも、不器用だがまじめで愚直な生き方。
そういうもの天はよくみており、また高く評価してくれるものです。


いい行いにはいつかいい結果がもたらされるという天の理(ことわり)。
天の貯金には必ず利息がついて返ってきます。
しかし、もちろん、その見返りがなくてもかまわないと思っています。
人のためにする行いが自分の利益をもたらさなくとも、そのことがわずかなりとも世の中のどこかで、人のために役立っているならそれでよし! すぐに結果の出ないことには、これからたーくさん出会うと思います。
でもそれでいいんです。
愚直に素直に一生懸命生きることで、天は必ず味方してくれます。
お互いよりよく生きる努力を続けていきましょう。
あきらめず、腐らず、前向きに。


by 菊川藍子








「苦しいときこそ笑っていられる」ようなアホやバカが、いまこそ必要なのだ。…
神の好きなものは「器の大きなバカ」「素直で正直なアホ」なのです。


鈍くて大きな人がいちばん遠くまで行く。…
安っぽくものごとを考えず、早わかりしない。
鈍で重だが、深く大きく思考する。
そうした人が遠回りをしながらもたしかな成果をあげ、時間はかかるけれど、いちばん遠くまで行く。
ゆっくり行く人がいちばん遠くまで行くのです。


神からの贈り物、すなわち、偶然による思いがけない成果のことを「セレンディピティ」といいます。…
そのセレンディピティを呼ぶ条件の一つは、素直で注意深い目です。
目の前で起こっている事態や変化を先入観や偏見なしでまっすぐ、しっかりと見つめること。…
第二の条件は、ムダを尊ぶ心です。
できる人ほどムダや非効率を嫌いますが、研究とはもともと壮大なムダの集積でもあります。
その百のムダの中から一つの有益な発見が生まれてくる。…
三番目は、その失敗や間違いから「何か」を見いだし、つかみとる力です。
このとき大切になってくるのはカンです。
失敗事例の中に何かを嗅ぎとる直感やひらめきです。…
偶然の幸運を呼び込むための条件を、キーワードとして取り出してみれば、「素直」「粘り強さ」「失敗から学ぶ」となって、やはり頭が切れる人より、ものごとをまっすぐに考える愚直な人が遠いようでいて、成功に近いのだと思います。


人生のおける失敗やつまずきはたしかに「ひどい味の薬」といえます。
しかし、そのことを、「薬であるにせよひどい味だ」とネガティブにとらえるか、「ひどい味だが薬にちがいない」とポジティブに考えるかで、失敗から得るものもずいぶん違ってくるはずです。


人はいい結果を得ようとしたら、いいプロセスを経るしかない。
逆にいえば、いいプロセスさえ経れば、おのずと結果はついてくる。
だから、うまくいくだろうか、この先どうなるだろうと不安やマイナス思考にとらわれるヒマがあったら、いいプロセスを積み上げていくことに力を注ぐべきだ。


ものごとが迷路に入ってしまったときは思い切って休んでリフレッシュしたり、場所や環境を変えて新しい人に出会い、新しいものにふれてみる。
そんな寄り道や道草が難攻不落とも思えた壁に風穴を開けてくれることがたしかにあるものなのです。


人間の場合、もっとも大きな環境は精神状態であり、心の持ち方が遺伝子のON/OFFに対してとても大きな力をもっています。
どんな環境にあっても、心が「この環境はいい」と解釈すれば、それは自分にとっていい環境になると考えられるのです。


愚直な生き方はジグザグで遠回りを余儀なくされる「曲線的な生き方」なのかもしれません。
ものごとを成就させるまで時間もかかります。
その点、かしこく利口な人は最短距離をまっすぐ要領よく行く直線的な生き方が可能です。
しかし、私は曲線的にしか生きてこられなかったし、人にもあえてその遠回りの生き方をすすめたいのです。
なぜなら、曲線は人に深みや厚み、奥行きや豊かさを与えるからです。


人間はどうもこれまでいわれてきたように対立や競争、分断と個別化を原動力として進歩してきたのではなく、むしろ相互扶助…助け合い、ゆずり合い、分かち合いの「三つの合い」をテコに進化してきたと考えられる。


人のために生きることで自分の幸せをつかむ。…
他人のために生きるとき自分も生かされ、人を助けてこそわが身も助かる。
したがって、もっともたくさん与える人がもっとも多く得る人なのである。


「ありがとう」は単なるサンキューの意味ではありません。
「有り」「難い」、つまりありえないものがあることに対しての深い畏敬と感謝の念をもとに生まれてきた言葉なのです。…
「いただきます」も同じです。
食事の前にそれを与えてくれた神に祈りを捧げ、動植物の命をわが命にいただくことへの感謝の思い。…
「おかげさま」も外国語に訳せません。…
したがって、こうした日本独自の心をあらわすことばに共通するものの一つは「感謝」です。
そしてもう一つは「利他」なのです。
おかげさま、いただきます、ありがとう、もったいない。
みんな自分だけに利や益を呼び込もうとする利己の心を離れて、他者と分かち合ったり、助け合ったり、ゆずり合ったり、融通し合ったりして、人を生かし、自分も生かす利他の精神が込められた言葉なのです。


一つ、心にとどめておいていただきたいのは、目に見えるものだけを信じるあまり、目に見えないものは「存在しない」と切って捨てないことです。
生命思考の観点からは、命にとって大事なものほど目に見えないものかもしれない。
そうした想像力の余地を残しておくことは、私たちの思考に幅や余裕を与え、生や命を充実させてくれるはずだからです。


「アホは神の望み」より








☆ハングリーであれ、愚かであれ!

アップルコンピュータの創始者・スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチの最後を、「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉でしめくくている。
「ハングリーであれ、愚かであれ。…
自分自身、常にそうありたいと願い続けてきたし、君たちもそうであるように願っている」とジョブズはスピーチを結んでいる。


☆ハングリーであれ、愚かであれ!

大地に深く深く根っこを張る、「でくのぼう」という愚かで深い生き方をしていきたい。。