学校日記

3/1(月) LOVE。。 44

公開日
2021/03/01
更新日
2021/03/01

校長室発

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◎体は不自由だけれど、私は自由



風ちゃんは45歳。

脳性麻痺で体感機能障害がある。

両手はまったく使えない。

字を書くのも足で。

二本の箸も足で持つ。



ご飯を手で口に運ぼうとすると、

一口食べるのに1時間かかる。

足で食べるのも時間がかかるが、

1時間あればお腹いっぱい。

誰の助けも借りずに自分で食べることができた。

おいしく食べられればいいじゃないかと思った。

栄養学校の先生には手を使えと叱られたが、

私の人生だから、自分の生き方は自分で決めた。

かっこいいのだ。



「私の体は変わっている。

 ビールも酒も、ストローなしでは飲めない」



しゃべるのも硬直が強く自由にならない。

うなるようにしゃべる。

言葉の一つひとつが重い。



彼女はお酒が強い。

お酒が入ると体の緊張が少しとれ、

しゃべりやすくなる。



「フォークもスプーンも使うけど、

 スパゲッティは箸がいい。

 すべて足で持つ。

 味噌汁はやっぱりストローだ。

 人はびっくりするけど、

 パフォーマンスじゃあるまいし、普通のことさ」



諏訪中央病院の看護学校で、

毎年、哲学の授業をしてもらっている。

生きるとは何かを語ってもらう。

授業は笑いがあふれる。

吉本のお笑いを聞いているようにおもしろい。

自分の障害を全部ギャグにしてしまう。

笑わせて、笑わせて、

その向こう側に命の切なさを、

風ちゃんは伝えてくれる。



風ちゃんには名言が多い。



「体は不自由だけれど、不幸ではない」



「体は不自由だけれど、私は自由だ」



うーん、へこたれない人間って、かっこいい。

死のうと思ったこともあった。

小さい頃、がんばってリハビリすれば、

いつか病気は良くなると親から教えられてきた。



ある時、学校の先生から、

風ちゃんの障害はもう良くならないと聞かされた。

ショックだった。

死のうと思った。

家のすぐ横を私鉄が走っている。

夜中、線路の脇に立ち、電車が来るのを待った。

夜明けまで立ちすくみ、はっと気がついた。

足が冷たい。

足が冷たくなったから家に帰ろうと思った。

足の冷たさで、私は今生きているんだ、

とその時感じたと言う。



「その私鉄、夜中は全く走らない。

 夜中に電車を待っていた私はバカみたい」。



笑いながら自分をさらけだすことができる。

すごいなあと思った。



「生きていくのが嫌になって、

 死にたいと思った時、

 頸椎の損傷で

 手足4本まったく動かない他の障害者に言われた。

 『おまえは

  自分で自分の命を絶てるからいいなあ』」



風ちゃんはそれまで、

自分は世界で一番不幸だと思っていた。



「ハンディはいっぱいあるけれど、

 自分はまだまだ恵まれている。

 両手は使えない。

 足も不自由だけれど、

 それでも、少しは移動できる。

 ちょっと誰かに応援してもらえば、

 旅だってできる。

 ストローを使えば、お酒だって飲める。

 日本酒か焼酎か、選ぶことだってできるんだ。

 その時、幸せって何かわかったような気がした。」



障害があったって、病気があったって、

お金がなかったって、幸せはあり得るんだ。



「生きることに疲れたと誰かが言った。

 私も疲れを感じる。

 でも負けない。

 ただ現実に背かずに生きるだけ。

 なぜ生きるのか、なんてどうでもいい。

 変えようのない宿命が

 いつも目の前に横たわっているけれど、

 それが与えられた人生ならば、

 しっかり受け入れて生きてやる」



「人間はなぜ生きるのか」とか

「生きることの意味」とか・・・。

むずかしいことはわからない。

哲学的難問はちょっと横において、とにかく生きる。





◎あきらめちゃいけないこと



ステキな45歳。

学生の前で、

足で携帯をかけてみせたり、

足でキーボードを演奏する。

学生たちにとってみれば、驚きの連続である。



「人生にはあきらめなければならないことが

 たくさんある。

 でも、

 あきらめちゃいけないこともあるんだ。

 私も普通の人と同じように、町へ出て行きたい。

 たまには旅もしてみたい。

 そのためには

 私はあきらめなくちゃいけないことが

 いくつもあった。

 私は一人でここには来られない。

 一人では階段も上れない。

 誰かに連れて来てもらう。

 一番恥ずかしかったのは、

 トイレが自分でできないこと。

 トイレをした後、私は誰かに紙で拭いてもらう。

 そのことをあきらめないかぎり、

 私は外に出ることができなかった。

 悔しかったし、恥ずかしかったし、

 悲しかったし・・・。

 私は、いくつものことをあきらめてきた。

 でも、

 私を必要としてくれる人のところへ行って、

 私は私の思いを語る。

 私は

 私の人生を生きていくことをあきらめなかった。」



ぼくたちの人生は、

あきらめの連続で成り立っている。

どうすることもできない流れの中で、

あきらめて、

あきらめて生きながら、

それでもあきらめられない時、

大切なのはその時なのだと思う。

あるがままを認めて素直に生きればいいんだ。



「一生かけて障害者。

 やりがいがあるね。

 この役こなすのはちょっと大変だけれど、

 演じれば演じるほどに、

 奥が深くてのめりこんでしまう。

 こんな役、投げ出したい。

 とてもじゃないけど、精神力がいる。

 だけどせっかくの役だから、最後までやってみる」



風ちゃんの言葉の一つひとつが重い。

多くの看護学生は、

「一生忘れられない授業だ」と言ってくれる。





◎よくばらないと楽に生きられるようになった



風ちゃんは足で筆を持ち、絵も描くようになった。

ついつい調子に乗って、

畳二畳ほどの大きな絵も描くようになり、

絵足手紙全国巡回展をしているというからすごい。

額縁にお金がかかっているので赤字です、

と笑いながら話す。

挫折の連続で生きてきたので、

このくらいのことではへこたれないらしい。

十年ほど前から書にも興味を持ちだした。

書道の先生に指導をお願いした。

はじめ、断られた。

「足で書く人を教えたことがない」という先生に

「先生に足で書いて見本を見せてとは言わない。」

笑ってしまった。

ツッコミがきびしいのだ。

ユーモアもある。

先生は教えてくれるようになったという。

「邁進」という字を書いた。

足で書いたとは思えないほど美しく、

雄大で風格のある字。

今はこの字を書き続けているという。



「失恋もした。

 あの人なしでは生きられないと、

 ずっと思っていたけれど、

 不思議なことに、ちゃんと生きている」



と風ちゃんは笑う。

失恋もまな板に載せて料理してしまう。

たくましい。



「できること、

 できないこと、

 したいことしたくないことを、

 はっきりさせたら楽になった」と、



哲学的なことを言う。



「せっかく生まれてきたんだから、

 楽しく生きなきゃ損。

 大切なことはゆっくりやればいいと気がついた。

 そしたら、だんだん自分のことが好きになれた。

 自分のことを大切に思えるようになったら、

 他人のことを大切にできるようになった」



人は一人では生きていけない。

人と人とのつながりの中で生きる。

だから、人の心をつかまえることが大切。

風ちゃんは人の心をつかむ達人だった。

最後は立ち上がって、自分の詩を朗読した。

脳性麻痺の特徴である筋の緊張が起きて、

うまくしゃべれない。

体が曲がる。

しぼり出すように詩が始まった。

ひと言ひと言が輝いている。

上等なひとり芝居を見ているようだ。



「昨日、障害者でした。

 今日、障害者でした。

 明日、たぶん障害者でしょう」



教室に涙があふれ出す。

風ちゃんは言い切った。



「ある小学校に行った。

 校長先生が私を紹介してくれた。

 『不幸にして障害を持った風ちゃんです。』

 コノヤロウと思った。

 初対面の他人から

 『不幸な風ちゃん』

 なんて言われる筋合いはない。

 幸せか不幸せかは自分が決めるもの。

 私は手が動かなくても、

 足を使って、けっこう幸せに生きている」



風ちゃんがいたずら坊主のように、

再びニコッと笑った。

体は不自由だけれど、私は不幸ではない。

自由も、

幸せも、

ちょっと視点を変えれば見えてくる。

自由も、

幸せも、

よくばらなければ、つかまえることができる。

自由も、

幸せも、

へこたれなければ、手に入れることができる。

だれでもできる。きっと。





BY 「へこたれない」 鎌田實













「自分の生き方は自分で決める。」 BY 風ちゃん