学校日記

3/13(土) LOVE。。 52

公開日
2021/03/13
更新日
2021/03/13

校長室発

https://swa.numazu-szo.ed.jp/numazu411/blog_img/2085145?tm=20240127115407






私の思う子ではなかった



翔子を産んで以来、

死のうと思ったことも

一度や二度ではありません。

生まれたての翔子をあやしながら、

「この子の命を、

 今このゆりかごの中で終わらせないと」

とさえ思ったのです。

神様に

「治してください。

 この生命と引き換えでもかまいません」

と、ただただ祈る毎日でした。



なぜそう思い続けたのか。

それは正直に言って、

生まれてきた我が子が

「私の思う子ではなかった」

からです。

しかし生まれてきた子にとっては、

親が思い描いていた未来など関係ありません。

本人は、幸せな光に包まれているのです。



ゆりかごの翔子を涙ながらに見つめていると、

まだ物心さえ付いていないというのに

何かを感じたのか、

笑顔で私の頬に両手を差し伸べたのです。

その優しさに気付くのに、

少々時間は掛かってしまいましたが、

本当に心の美しい、

この世界中・・・

生き物も

星も木や草も愛する娘に育ってくれました。



こんなことがありました。

個展用のパンフレットの撮影をしている時に、

犬を連れたご夫婦が通りかかりました。

翔子はその犬に、

丁寧に「どうぞ」とピンクの名刺を差し出します。

犬の方も、

神妙にお座りしてその名刺を見つめています。

そのシーンが面白いやらほっこりするやらで、

周囲は笑いに包まれました。



翔子は出先から夜道を一人で

歩いて帰ってくることがあるのですが、

必ず空に浮かぶ月に向かって、

「ついてきてくれて、ありがとう」

とお礼を言ってから家に入ります。

また、パーティーなどでは、

車いすに乗っている人、

柔和なお年寄りのところに飛んでいきます。

傷んでいる人、

弱い人、

平和で優しい人が大好きなのです。



それは離れていても分かるようです。

2013年の東京国体、大観衆の前で揮毫した時、

翔子が

「きれいなおばちゃまが居たね」

と言いました。

それは恐れ多くも、

少し離れた観客席にいらっしゃった

美智子皇后陛下のことでした。

慈愛に満ちたそのお姿に、

翔子が気付いたのです。



今では逆の意味で、

私が思う(レベルに収まる)子ではなかったのだ、

と思う日々です。



BY 「ひたすらに書きます」

   金澤翔子 文・金澤泰子


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