わたしの主張大会 全文
- 公開日
- 2017/06/12
- 更新日
- 2017/06/12
学校では今…
言葉を届ける 沼津市立沼津高等学校中等部3年 塩崎 結
「がんばって。」
受検票を手に送り出された私の頭の中で、その言葉が幾度となく繰り返された。時間が一秒一秒過ぎる度に、焦りと不安が積み重なっていく。そんなときでも、この一言は私の手を動かす原動力となって、空白を埋めていくことができた。言葉をかけてくれた家族、先生、友達が私の胸の中で見守っていた。その思い出は、今でもはっきりと脳裏に現れる。
私に受検を乗り越えさせてくれた、この「がんばって。」誰かを応援するとき、この言葉は定番のように使われる。前向きになれて、いつも以上の力を出すことができる、特別な力を持った言葉だ。しかし時には、逆効果となって人を苦しめることもある。
六年前の三月十一日。東日本は、巨大な揺れと津波に襲われた。それは、あっという間に人々の明るい表情を奪い、深い傷を与えた。まだ見つからない仲間を待ちながら、避難所で不自由な生活をしている人の姿を、私は、炊きたての温かいご飯を食べながら、家族とテレビの画面を通して見ていた。日に日に被災者の暮らしぶりを目にすることが多くなり、見る度に衝撃を受ける。私は被災地を訪れて、直接何かをしてあげることはできない。それでも、遠く離れたこの場所から、応援することはできる。前向きにがんばってほしい、そう思った。
「『がんばって』の一言が、一番傷つく。」
テレビの中で控えめに口を開き、そう言った女性は、意味ありげな表情で目を潤わせていた。あまりに予想外な彼女の発言に、私は驚いた。彼女の表情には、どんな意味が隠されているのか。私は食い入るように、彼女の言葉に耳を傾けた。もうがんばってる、がんばっているのに、幸せになれない。その想いを語ると、彼女の目から出た涙が、光に反射してまつげをきらきらと光らせていた。その光は美しく、まるで彼女のがんばりを讃えているように、私には見えた。彼女にとって、「がんばって」は応援ではなく、追い討ちをかける言葉だったのだろう。当時の状況や人々の気持ちを考えると、言葉一つでも、数ある中から慎重に選ばないといけなかったのだ。
そんな彼女を見ると、バッターボックスに立つ兄の姿が頭をよぎった。学生時代、野球に没頭していた兄は、多くの期待を背負い、日々遅くまで練習に励んだ。兄が帰ってくると家の空気が変わり、妙に張り詰めた雰囲気になった。大事な試合の前は、いつもこうだ。部屋にこもりっぱなしで、顔を見るのは夕食を食べるときくらい。落ち着いているように見えるが、無理に澄ましているように思うのは、私だけじゃない。そう家族みんなが悟って、明日の試合のことは話題に出さなかった。ましてや「がんばって」なんて口にできなかった。兄に重くのしかかった期待が目に見えているのに、さらに重い荷物を背負わせられない。こうして口に出したい気持ちを抑え、ただ、静かに夕食を食べた。それでも、私の気持ちが届いたかのように、兄は、歓声を浴びながら、広いグラウンドを爽快に走った。その姿はきらきら光っていて、テレビの中にいる彼女の光とよく似ていた。
「がんばって。」
私は、とても素敵な言葉だと思う。相手のことを思って贈る言葉であり、受け取った方も勇気づけられる。しかし、使い方はとても難しい。言うタイミングを間違えるだけで、全く反対の力を生み出してしまうこともある。今、この人にはどんな言葉が必要なのか。よく考え、その言葉が思い通りの力を発揮できたとき、本当の意味で、お互いを支え合える社会が実現すると思う。相手にとって必要な言葉を見つけ出そうとする。その努力が、相手の中身を理解する思いやりへと繋がるのだ。言葉は、人の想いを乗せていく。乗せられた想いが、相手のところまで上手く届けられるかは、自分次第だ。上手く相手に届ける技術が、本当にお互いを支え合う社会への一歩となる。
だから、あなたもがんばって。みんなでがんばろう。