“一隅”№21
- 公開日
- 2010/08/20
- 更新日
- 2010/08/20
校長メッセージ
−恩師・S先生(2)−
S先生の話の中で、印象的だったのは次の3つです。
1 担任とは
高校の先生をされていたS先生は、ドラマまがいの場面に遭遇されます。
ある時、ナイフを持った高校生が校舎内で暴れています。先生たちが駆けつけます。S先生の担任の生徒ではありませんが、「近寄ったら殺すぞ!」と、生徒はすごみます。本当に長い時間に感じられた時を経て、生徒の担任が歩み寄ります。「近寄るな。」制止を聞かず、担任の先生はゆっくりと近寄ります。「刺すぞ!」ドラマのようにことが進みます。
ついに「負けたよ。」生徒はナイフを下ろしたそうです。長い長い時間に感じられた究極の学校における生徒指導だった訳です。
「無茶なことをした。」と、後々担任の先生は述懐されたと言います。担任だからできたことかもしれません。「担任」の重み、すごさが実感された逸話です。
2 担任と生徒
先生が担任をされていたAは、ならず者、傍若無人に問題行動ばかりを繰り返すどうしようもない生徒でした。
職員会議で彼の処遇が話し合われます。一筆書かせた上で、停学処分にしようと話し合いが傾いたとき、担任だったS先生はかたくなに生徒をかばいます。「私に任せてほしい。何とかしてみせる。」と見得を切ったのです。
必死にならず者の生徒と関わった結果、功を奏し、徐々に生徒は心を開き、先生と話しができるようになり、文化祭でユニークなアイデアを出し、クラスを牽引するまでになったのです。
ところがです。鳩を出すアイデアを考案した彼に先生は、「あのAがやったのか?」と、ネガティブにとれる物言いをしてしまいます。気心が知れた緩みから冗談交じりで放った一言が彼を元に戻します。悪行をまた始めたのです。本当にわかり合うことは半端でなく、積み重なった善の経歴をもたない人とのつきあいの難しさを思い知らされたとのこと。
後日談として、10年後、偶然再会したAの姿を見たS先生は、ずっと気にしていたこともあり、すご様、声をかけます。
「やあ、元気か。」その言葉を聞いて、Aの誤解は氷解します。「先生も俺を信じていなかったと思って…。」
3 教育とは
先生は大学で「感動」は分析的に抽出できるのか、をテーマに心理学研究をされていたそうです。結論として、感動は総体であり、分析をすると逃げてしまうと学んだといいます。
感動や教育は最終的には感じるものでしょう。その一片の取り出しは仮に可能でも、総体として実感されなければ意味をなさないと思います。
日本では室町時代に隆盛を極めた能の世阿弥が芸の伝承として「花伝書」他を残しています。もっとも当時は一子相伝ですから、万人に宛てて書いたものではなく、あくまで自分たちの芸を継ぐ者だけを対象に書いたものです。「秘すれば花」の有名な文言は、文言であり、結局感じられる境地に達した人だけにしかわからないのです。
簡単に方法だけをまねしても、いけません。「古人の後を追い求めるなかれ、古人の追い求めたるところを求めよ」と言ったことが伝承されています。江戸時代の松尾芭蕉も弟子にこの言葉で諭しました。
(平成21年7月9日)