学校日記

3/13(土) LOVE。。 53

公開日
2021/03/13
更新日
2021/03/13

校長室発

https://swa.numazu-szo.ed.jp/numazu411/blog_img/2085146?tm=20240127115407





お母様、幸せ?



あるホテルに泊まり、親子でお風呂に入っていた時。

翔子が

「お母様、幸せ?」

と唐突に問いかけてきました。

窓から差し込むお月様に照らされた彼女の顔が

神々しく見えたものです。



翔子が生まれた時、

私は状態が悪く、そのまま救急病院へ運ばれました。

娘がダウン症だと知らされたのは、

52日後のことです。

また翔子も生まれた時にかなり状態が悪く、

生死の境をさまよいました。

障害を抱えた子ではありましたが、

夫・裕は、

「僕は神の挑戦を受ける」

と、交換輸血の果てに娘を助けたのです。

それを知った私は複雑な思いでした。



それから1、2年ほどたった頃でしょうか、

気持ちの落ち着いてきた私は、

夫に

「あの子を助けてくれてありがとう」

と言いました。

その言葉に、

夫は

「やっとありがとうって言ってくれたね」

と笑うのでした。



翔子の障害を知った日、

私は気分を紛らわせるために日記を書き始めました。

その最初の言葉は

「私は今日、

 世界で一番悲しい母親だろう」

でした。

しかし夫には

物事の本質を見る目があったのでしょうか・・・

翔子がこうして世に出るきっかけになったのも、

夫の言葉があったからです。

「20歳になったら、個展を開いてあげたいね。

 翔子の生きた証に」と。



結局、この言葉は夫の遺言になりました。

私は裕さんの言葉を守り、

翔子に寄り添ってきました。

そして

想像もつかなかった

大きな仕事を成し遂げていく翔子に

驚かされる毎日です。

「生きてさえいれば絶望はない」。

夫と娘に教えられました。

この言葉を皆さんに伝えていくのが

私の一生の仕事なんだと、

今ではそう考えています。



私に力をくれた裕さん。

翔子は書に向かい、

書き始める前にお祈りを捧げます。

偉大で

優しかった父と

何かを語り合っているのでしょうか。



「お母様、幸せ?」

という翔子の問い。

「楽しい?」

「うれしい?」

と彼女は続けて聞いてきました。

月に照らされた翔子の笑顔に、

私は

「幸せだよ」

「楽しいよ」

「うれしいよ」

と笑顔で答えました。



BY 「ひたすらに書きます」

   金澤翔子 文・金澤泰子


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