5月の朝礼 5月25日
- 公開日
- 2022/05/25
- 更新日
- 2022/05/25
行事
校長の講話(抜粋)を掲載いたします。
5月の朝礼
「考える」ということは難しいことです。よく、授業の中で、「考えてみましょう」「よく考えなさい」って先生に言われますが、考えているつもりなんだけど、いいアイディアが浮かばないとか、正解に辿り着けないとかいうこと、よくありませんか。「考え方がわからない」という悩みも生まれます。
わたしが思うに、「考える」って、「考えなさい」と促されてする行為ではないのではないかと思うのです。自然に「なんでそうなるの」「もっと上手い方法はないかな」という欲求が湧いて初めて、自分だけで考えたり、仲間と一緒に考えたりするようになると思うのです。
粘り強く考え続けるためには、対象とする物事について「楽しい」という感情がなくてはいけません。「面白くなってきたぞ、じゃあ、こういう場合はどうなるのかな」「惜しいな、もう少しで解明できるんだけど」と、楽しければ、試行錯誤しようとするはずです。それは、言い換えると「自分自身で学びの調節をすること」なのです。
先日、大学生のわたしの次男が、「高校時代は受験勉強ばかりしていたから、大学に入って苦労した。」と言っていました。
勉強の本来の姿は、受験に合格するためではなく、真理を追求したり、深く思考することを楽しんだりすることにあるのではないでしょうか。自分なりのやり方で直面する問題にぶつかってみる。ああでもない、こうでもないと、試行錯誤する中で、自分なりの考察が導かれていく。実は、大学の試験の多くは、「〇〇について、あなたの考えを述べよ」という論述形式なんです。それこそ、「考える」習慣がないと、手も足も出ませんね。大学での研究には、そういった厳しさがあります。裏を返すと、まだ解明されていないことについて、とことんぶつかっていくことができます。そこに、学問を追求する喜びや楽しさがあるのだと思います。
でも、苦手なことについては、なかなか前向きに「考える」ことはできません。まずは、自分の興味のあること、好きなことに対して、チャレンジしてみてはいかがですか。「〇〇先生はそう説明するけれど、こっちのやり方の方がもっと効率的じゃないのかな」とか、「友達はこの意見だけれど、立場を変えてみたらもっと違う見方があるはずだ」とかと、あえて多面的に考えてみるのです。時に自分だけで。時にグループで意見交換して。時に学級でみんなで協議して。
テストの得点とか順位とか偏差値とかに一喜一憂するのが現実の受験生です。でも、保健体育や技術家庭などの技能教科や、言語読解の時間、6月から始まる探求総合の時間などを通じて、「考える」面白さを少しでも感じ取ってほしい。そして、次第に「考える」やり方のレパートリーが増えていけば、苦手な分野に対しても対処することができるような気がします。