学校日記

2/4(木) LOVE。。 8

公開日
2021/02/04
更新日
2021/02/08

校長室発

  • 1347444.jpg

https://swa.numazu-szo.ed.jp/numazu411/blog_img/2084895?tm=20240127115407





自分が一切である



戦前、書を書いていたとき、

銀座で個展を開いたことがあります。



当時、私は、

与謝野晶子さんの高弟である、歌人の中原綾子さんに

歌を見ていただいていたので、

自作の歌と、自分の好きな古い歌を書きました。

私が24歳のときでした。



それは初めての書展で、そのときの評価は、

書道界の人から、

才気煥発だけれども、根なし草だと批判されました。

戦前は、平安朝の名筆を、

下地にして書くことが主流だったのですが、

私はそれをしませんでした。

名筆を写さなかったので、

根がない、と嘲笑されました。



手厳しい批評を受けて、

私は、

根とはなにかを考え、

日記に次のように記述しました。



 私の根は、

 私が今まで触れたすべてでできている。

 家にある軸、額、書、

 紀元前の甲骨文字、

 古今集などあらゆる古典。

 また文字でないものなど、

 あらゆる影響、感動、拒絶すら、

 なんでもが私の根になっている・・・



植物の根は、

地中、水中で、

水分と養分を吸収して、植物を支えます。

人もまた、置かれた境遇のなかで、

つねに、

さまざま知識、経験などの養分を吸収して、

自身を形成します。

平安朝の名筆は、

特に書家にとって、大切な養分の一つですが、

それだけが根ではありません。



養分をいかに吸収し、形成するかはその人次第です。

私は、

自分の根がつくりだす、

かたちや線を可視のものにして見たい、

と思いました。



あれから80年近く経ちますが、

根は、

他者にあるのではなく、

その人自身の一切だと思っています。



BY 「103歳になってわかったこと」篠田桃紅