学校日記

6月25日朝礼+全校道徳集会

公開日
2013/06/25
更新日
2013/06/25

校長からのメッセージ

本日(6月25日)の朝礼は、1時間目の道徳と合わせて、「全校道徳集会」として行いました。以下、話の要約です。

 さて、今日は久しぶりに画面を使った朝礼を行います。準備の間、別の話を少しします。随分、朝礼がなかったので、古い話かもしれませんが、5月に行われた3年修学旅行、2年高原教室、1年遠足、天候にも恵まれ、よい学年行事を行うことができました。私は、各学年のこの行事に参加しましたが、どの学年でも印象に残ったのは、「笑顔」です。楽しい笑顔、ほっとした笑顔、満足した笑顔、様々な笑顔でしたが、素晴らしい笑顔にたくさん出会うことができ、本当によかったと思います。随分時間は経ちましたが、この「笑顔」を今の毎日の生活でもたくさんあふれるようみんなで安心感のある学校を作っていきましょう。
 それでは、準備ができました。画面の方へ姿勢を合わせてください。まずは、これまでのおさらいです。1年生は入学式、2,3年生は始業式で示した「人」という字です。この字は、片方がもう片方に支えられているように考えることができる、つまり、「人」は一人では生きていくことができずに、誰かに支えられれて生きているということを話しましたね。そのような意味から、人は人との関わりがとても大切であり、今年度のキーワードは「関わり」にすることを皆さんに伝えました。そして、「人と人との関わりで大切だと思うことは何ですか?」という問いかけを皆さんにし、多くの回答をもらいました。その中で、一番たくさんの人が書いた言葉として、「思いやり」がありました。その「思いやり」については、昔から大切なものとしてとらえられてきました。その「思いやり」を難しい言葉ですが、「仁」という言葉で示してきました。「仁」は、右から読むと「二人」です。つまり「二人」になると必要な心は、「思いやり」つまり「仁」だよということでしょう。
 さて、本日は、「人と人との関わりで大切なもの2」です。今日は結論から言いますが、「義」です。義という言葉は難しいので、説明しますと、正しいことを守ろうとする心(正義心)です。このことについて、話そうと思っています。
 この「義」について、次のような難しい言葉があります。
「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」 (論語)。難しい言葉ですので、私なりに訳してみます。君子、立派な人、心正しき人は、人として正しいか正しくないかを基準として行動し、小人、心まずしい人は得か損かを基準に行動してしまうという意味です。人は間違っていても、ついつい自分にとって、得な方を選んで行動してしまいます。次の作文を読んで、考えてみましょう。

 僕は中学校2年まで福岡県に住んでいました。そこで、僕が体験したことです。
 1年生のころ、僕の友だちのA君が、同級生のK君の靴を隠したり、からかったりしていることがよくありました。最初は僕もあまり気にしていませんでしたが、K君のことを「なんだかかわいそう」と思うようになりました。
 ある日僕は勇気をだして先生に「K君がいじめにあっています」と報告しました。初め先生は、「じゃれ合っているだけだろう」と、「いじめ」とは思ってくれませんでした。 でもその後「いじめ」と分かり、A君は、先生に注意され、その日一日は反省した様子で過ごしていました。
 しかし、次の日学校に行くと、いじめは前以上にエスカレートしていて、蹴ったりたたいたりするようになりました。しかも、「死ね」「うざい」「消えろ」などの言葉が飛び交うようになり、そんな日々が続きました。 
 それは2年生になっても続きました。僕はそのいじめを止めることができず、毎日、見て見ぬ振りをしていました。今思うと、自分がとても恥ずかしいです。本当の友だちなら止めるべきなのに。それだけではなく、いじめられているK君に声一つかけることができずにいました。
 心の中ではA君に、「やめろよ」と言おうと思っていたけど、なぜか、勇気が出ませんでした。次にいじめられるのが自分になるのが恐くて、言えなかったのです。

さて、ここから生徒会にバトンタッチして、進行してもらいます。みなさんよく考えて意見を出してください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ありがとうございました。まだまだ意見を言いたい人もあったかと思いますが、時間の関係でここで切らせてもらいます。また、このような機会をつくろうと思っていますので、みんなで意見を出し合っていきましょう。
 この作文には続きがあります。もう一度画面に姿勢を向き変えてください。

 そんな日々が続く中、僕の気持ちを大きく変える出来事がありました。父の死です。そのときのことは、今でも忘れることができません。聞いたときには頭の中が真っ白になりました。最初は信じることができませんでした。一週間も二週間も学校に行けず、ただ、ぼーっと過ごしていました。いろんなことを考え、徐々に、「死」というものの悲しさ、つらさ、「死」という意味の重さがわかってきました。そして、時間はかかりましたが、「命は一瞬にして消え、二度と戻ってこないものだ。だから命を大切に、今を大切にしなければならない」と深く受け止めることができるようになりました。そして、周りの子たちは、僕のような経験がないから、「死ね」とか、軽々しく言えるのだろうと思い、この気持ちを伝えなくてはならないと考えました。僕が強くならなくてはと思いました。
 こんな気持ちになったとき、僕には時間がありませんでした。母の実家がある徳島への引っ越しが一週間後に決まっていたのです。落ち込んでいる暇は無いと思い、学校に行った僕はA君に言いました。
 「いじめなんかやめろよ。いじめたって喜ぶ人はいないし、悲しむ人がいるだけだろ。自分だってほんとは嫌だろ。『死ね』とか『消えろ』とか言葉の意味の重さを知らないのに、言うなよ」と言いました。父親の突然の死、そのあと僕が考えたことも伝えました。
 A君は、黙って聞いてくれました。僕の言葉にうなずいて、そのあと、K君のところへ行き、「ごめん。言葉の重さも知らずに言って、本当にごめん。ぜったいに死ねなんてことは言わない。そして、いじめは絶対にしない。ほんとうにごめん」とあやまりました。
 K君はとても優しい笑顔で「いいよ」と一言言いました。僕も、K君に言いました。
「今まで助けてあげられなくてごめん。」
K君は笑顔で、「ありがとう」と言ってくれました。今まで自分の中でもやもやしていた気持ちが、スーっと晴れました。
 今も時々耳にする暴言。冗談半分で言っているかもしれません。しかし、いつ、いじめにつながるかわかりません。他人を傷つけることで自分のストレスを晴らそうとしているのでしょう。関係ないふりをしようとする自分がいます。楽な考え方をする自分がいます。そんな時、亡くなった父の顔や、K君の優しい笑顔を思い出します。あの時の自分のように強い気持ちを持とう。「やめろよ」と一言言う。すると、また気持ちがスーっとしてきました。
 父の分も頑張って生き抜こうと決めた僕にとって、正しいことを素直に認め、悪いことを否定できる強い意志を持つことが目標です。そして何よりも、命を大切に、今を大切にしていきたいと思います。

 主人公は、迷いながらも、父の死をきっかけにして、自分の弱い心に打ち勝ち、人として正しい道を歩もうと決心しました。そして、K君をいじめているA君に対して、勇気を出して、「やめろよ」と言いました。
 自分にとって得か損かを考え、黙っているか、それとも正しいか正しくないかを考え、勇気を出して言うか。さて、あなたは?みなさんが、「義」を大切にすることを強く願っています。
 人と人との関わりで、大切なもの その一つに「義」があります。
以上で、本日の話を終了します。

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