第2学期終業式
- 公開日
- 2015/12/23
- 更新日
- 2015/12/23
校長からのメッセージ
12月22日(火)終業式を迎えました。表彰のあと各学年の代表生徒の2学期の振り返り発表など行われました。3人ともに潮騒祭への取組についての振り返りがありました。次に栗原先生から、大切にしたいこととして、「ルール」、「お金」、「命」の3つについてお話がありました。続いて、校長からは、次の「ATM物語2」が画面を使って流されました。
(A)A君からの届いた手紙は、僕の心を大きく揺さぶりました。読んでいくうちに、思わず涙が出てきましたが、読み終わった後は体中に力が湧いてきました。
これから僕とA君との心の交流を皆さんに紹介したいと思います。僕は、中学校1年の2学期、父親の転勤で3度目の転校をしました。過去2回の転校は不安もありましたが、楽しみな気持ちもありました。しかし、今回は転校したくないという気持ちが強く、非常に落ち込んでいました。
一度目は、岡山県から北海道の小学校への転校、北海道は雄大な自然に抱かれ、のびのびと過ごしました。
二度目は、栃木県の小学校でした。勉強に力を入れている小学校で、宿題の多さにびっくりしました。また、一生懸命勉強する仲間の姿にも驚きました。それから、仲間に追いつこうと勉強に力を入れて過ごしました。
その努力の成果が少しずつ出ていきましたが、どうにも追いつくことができないと思える仲間がいました。それは中学校に入学しても同じでした。そんな優秀な仲間の中に、誰からも信頼されているA君がいました。
A君とは、中学校に入ると同じ野球部に入部したことや、家も近くだったことから、一緒に登下校しながら、いろいろな話をする親しい間柄になりました。ある日、「どんなふうに勉強をやっているの?」とA君に聞くと、
「心掛けているのは、授業への集中だね。授業中に理解してしまおうとすることかな?だって、わからないまま、家でもう一度やるって、もったいないだろ。理解していれば、宿題も早く終わるしね。野球も集中力。同じさ。」
と語るA君の言葉が今でも頭に残っています。そして、「僕もA君に負けないように集中していこう」と思いました。
切磋琢磨という言葉がありますが、そんなA君の姿に刺激を受けて、勉強でも野球でも集中力がついてきたと思います。
(T)ところが、1学期を終える頃、父から言われました。
「H、転勤が決まった。場所は静岡だ。父さん先に行ってるから、母さんと一緒に2学期に合わせて夏休み終わり頃に転校するからそのつもりでいなさい。」
三度目の転校なので大丈夫だろうという安心感が父にはあったと思いますが、僕はそれを聞いて、たいへん落ち込みました。A君の後ろ姿を追いながらとても充実している今の生活から離れたくないからです。
僕は、ひどく落ち込んだ気持ちのまま翌朝を迎えました。いつものようにA君と一緒に登校しながら沈んだ気持ちで転校のことをA君に伝えました。
「そうか、残念だな。でも転勤ではしょうがないな。……」
とA君は言うだけでした。もっと重く受け止めてくれるものと思っていた僕は、さらにがっかりしました。
僕は、次の学校でも野球を続けたいと思っていたので、夏休みになっても野球部の練習に毎日参加しました。野球はキャッチボールなど二人組になって練習をすることが多いのですが、僕はいつもA君と組になってやっていました。
あれからも、二人で行動する時間が多い日々でしたが、二人の間で転校の話はなく、何となく重苦しさを互いに感じる毎日でした。
そんな日々も過ぎ、8月末となりました。そして、明日が引っ越しという日の帰り、僕はA君にお別れを言いました。
「今までいろいろ一緒にやってくれてありがとう。今日で、お別れだ。」
「…そうか、…実…実は静岡には叔父さんの家があるから、そっちに行った時、会えるといいね。…手紙、書くよ。」と何か落ち着きのないA君でした。
A君と別れて、静岡に向かわなければならないことを思うと涙が出そうになりましたが、ぐっとこらえて
「遠く離れても、A君が頑張っている姿を想いながら、新たな 旅立ちを 求めて頑張るよ。」と話して別れました。
(M)毎日が新しいことだらけの日々が始まりました。ふと、「あー、A君はどうしているだろうか?キャッチボールは誰と組んでやっているだろうか?」
とA君のことを思いました。そろそろ手紙が届くかなとも思いました。しかし、A君からの手紙はずっと届きませんでした。月日が経つうちに、新しい友もでき、落ち込んでいた気持ちも少しずつ上向いていきました。途中から合流した野球部でも試合に出してもらうこともありました。
2学期が終わり、年賀状を書く頃、A君のことを思い出しました。
「手紙くれるって言っていたのに、A君はちっともよこさないじゃないか!」
と思いながらもA君への年賀状を出しました。
しかし、しばらくすると、『配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません』と年賀状が返ってきてしまいました。
「?、どういうこと?住所間違ってないはずなのに、どうなってるんだろう?」
と思いました。しかし、それも時間が経つとともに忘れてしまい、ずっとA君がどうなったのか思うこともなく、月日が過ぎていきました。
それから、静岡での中学校生活はますます充実していきました。野球でも3年ではエースとして活躍することができ、中体連では地区大会で優勝し、県大会でも第3位に入賞することができました。勉強でも集中を意識して行った結果、行きたかった第1志望校への合格が決まりました。
卒業が近づいてきた頃、一通の封書が届きました。差出人を見るとA君でした。「今になって?」と思いながら封を開けました。
「突然の手紙でごめん。約束していたのにずっと手紙送らずにいて悪かった。」という言葉から始まっていました。
実は最後に君と別れる時、言おうかとも思ったけれど、言わなかったことがある。僕が母一人子一人であることは、君も知っていたよね。その母が、あの時ガンで危ない状態だった。君と一緒に野球をやってはいたけれど、本当は野球どころではなかった。毎日毎日、母が回復することを祈り続けていたけれど、君が静岡に行ってしばらくした頃、僕の祈りも届かず母は逝ってしまった。
「どうして僕を置いて」と思い、どうしてよいのかわからないまま僕はひどく混乱していた。そんな気持ちのままに、僕は転校することになった。そう、君のいる静岡に近い叔父さんの家だ。君へ連絡を取ろうかとも思ったけれど、心が混乱していて手紙を書く気持ちになれなかった。
そして、僕の生活は次第に荒れていった。学校も休みがちになり、ついにまったく学校に行かなくなってしまった。叔父さんはそんな僕を励ましてくれたけれど、中々前向きな気持ちになれなかった。そんな弱い自分を嫌いになっていった。そして、どこかに消えてしまいたいという気持ちになっていった。
そんなどん底の状態になっていた時、野球で活躍する君を新聞で見つけた。
「あーHは、昔と同じように頑張っているんだな」と思い、今の自分が情けなくなった。そして、君の姿を求めて、県大会の行われている球場に向かった。
マウンドに立ち大きく成長した君の姿、力強いピッチングを見ているうちに、
君と一緒に野球をやっていた頃のことを思い出した。二人でキャッチボールをやったこと、勉強の話をしたこと、将来の夢を話したことなどなど色々なことを思い出していった。
僕の心の中に忘れていた何かが蘇ってくるのを感じた。そして、ふと、君のお別れの時の言葉が頭に浮かんできた。僕は、その言葉を思わず小さな声でつぶやいた。そんな自分に驚きながら、その言葉を何度も何度も自分の中で繰り返した。
それから、自分の弱い気持ちに負けそうになったこともあったけれど、君の力強い姿とともにあの言葉を思い出しながら、何とか自分を励まして前向きな生活に変えていくようになった。そして迷いながらも僕は思い切って学校に行く決心をした。
それから昔のように集中して授業に参加できるようになっていった。先日、ようやく進路も決まった。中学校卒業を前にした今、ようやく君への手紙を送ろうという気持ちになった。
最後に、君がお別れの時に言った言葉を思い出しながら、僕からも君に伝えたいと思う。
「遠く離れても、Hが頑張っている姿を想いながら、新たな 旅立ちを 求めて
頑張るよ。 」
そう、君の言葉にあったあの言葉が、マウンドにいる君の姿から浮かんできて、僕を前進させてくれたんだ。
もう一度、繰り返すよ!
(A)あらたな (T)たびだちを (M)もとめて (完)