学校日記

3月2日朝礼

公開日
2012/03/02
更新日
2012/03/02

校長からのメッセージ

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本日の朝礼は、「不撓不屈2」というタイトルです。
生徒一人一人の夢実現への大きな応援歌になってくれることを期待して、以下の物語を紹介しました。

★Pete Grayの夢実現
 1915年(大正4年)3月16日ペンシルバニア州ナンティーコーク生まれの野球と機関車好きのある少年の物語です。
機関車好きのピートは友達と速度の遅い列車を見つけ列車に飛び乗るゲームをして楽しく過ごしていました。そうやって大好きな機関車で友達と遊ぶピートでしたが、機関車と同じくらい好きなことがありました。それが野球でした。
 ある日のことです。ピートは父親に連れられて、メジャーリーグの試合を見に行きました。その試合では、ピートの応援するニューヨークヤンキースが1対0で負けていました。
9回裏、2アウト、ランナー1塁、ヤンキースの最後の攻撃です。
(ピート)「パパ見てて!僕の大好きなあのバッターが必ずホームランを打ってサヨナラ勝ちをするよ!」「カーン!」  
サヨナラホームラン!!野球好きのピートにとっては、心に残る一幕でした…
 この日からメジャーリーガーになることを夢みたピート。しかし、メジャーリーガーになる道は、決して楽なものではなかったのです。メジャーリーグは大組織の頂点でした。ピートを待っていたのは、挫折との戦い、苦悩の日々の連続でした。6歳のとき、ピートはある事故により、野球を断念しようと思ったことがありました。そんな時、彼を支えたのが父親の一言でした。
(父親)「あきらめるな!やればできるんだ!!」
ピートは父の言葉を信じ、努力を続けたのです。草野球チームに入ったものの、一度も練習には参加させてもらえず球拾いの毎日が続きました。日が暮れて、チームメイトが帰ったあと、一人で素振りの練習、練習、練習…ピートは心に誓ったのです。「僕はできる、絶対できる、決してあきらめない!」そして、野球学校への入学を決意するのです。野球学校に通いながら、様々な入団テストにチャレンジしたピート。しかし、ピートは入団テストにことごとく落ちてしまうのです。それでも、彼は決してめげなかったのです!雨の日も、風の日も練習、練習… このひたむきな努力が、ついに学校の先生を動かしたのです!学校の先生がDリーグの監督に片っ端から電話してくれました。
(先生)「うちにピートという素晴らしい選手がいる。是非彼のプレーを見に来てくれないか?」
 各地からDリーグの監督がピートのプレーを見に来てくれました。しかし、どの球団もピートを雇わなかったのです。このときもピートはあきらめませんでした。努力を続けるピートを「幸運の女神」は見放しませんでした。ついにニューヨークのセミプロ球団ブッシュウィックスからお声がかかったのです!ピートはがんばりました。このチームで好成績をマーク!その活躍を見ていた人…それがマイナーリーグ「スリーリバース」の監督だったのです。セミプロから一気にマイナーリーグに駆け上がったピート。無心にプレーした彼の成績は打率 .381という素晴らしいものだったのです。このような相次ぐ大抜擢におごることなく、努力を続けるピートに次々と幸運が訪れるのでした。
1943年(昭和18年)AAAメンフィス・チックスに昇格!
このチームで彼は、打率 .331 盗塁68 何とMVPを獲得したのです!
1945年(昭和20年)ついに彼は、メジャーリーグ セントルイスブラウンズ(現ボルチモア・オリオールズ)に入団したのです!
 まれにみる努力家ピートのメジャーリーグ入団を聞きつけた人々は彼を見に球場に足を運んだのです。夢にまで見たメジャーでの初打席 ピートのバットは大きく空を切った 初打席 三振! しかし、スタンドは鳴り止まぬ拍手とスタンディングオベーションに包まれたのです。
 ピートが野球を断念しようと思った6歳のときの事故…貨物列車に飛び乗る際の事故で彼は右腕をなくしていたのです。わずか6歳で右腕を失ったピート、泣きじゃくるピートに父親がかけた言葉…それが「あきらめるな!」という言葉だったのです。
 ピートは1年でメジャーリーグ生活にピリオドをうち、その後、故郷に戻り、少年たちに野球の指導を続けました。
 2002年(平成14年)6月30日ピートは87歳で生涯を終えました。
 ピートは亡くなる前に、自分の生涯をふり返り、次のような言葉を残しました。私の子どもの頃の夢はヤンキースタジアムで野球をすることでした。そして、それを叶えられたことが自分の人生で最も素晴らしいできごとだったと思います。自分のような体に障害を持つものにとって練習こそがすべてでした。でも、練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。ある時、こう言われたことがあります。「両方の腕があっても野球をするのが難しいのに片腕で野球なんかできるわけがないだろう」それでもあきらめず自分は常に夢に向かって練習したのです。
最後に私のいちばん好きな言葉を贈ります。
「A winner is never quits.(勝利者は決してあきらめない)」 Pete Gray