学校日記

12月22日終業式 ATM物語

公開日
2014/12/22
更新日
2014/12/22

校長からのメッセージ

 本日の終業式で、以下のATM物語を流しました。

A 「ありがとう」の言葉は、日頃からよく使っています。でも心の底から「ありがとう」という言葉を言うことはあまりなかったと思います。私が心の底から「ありがとう」と言った話をこれから皆さんに紹介します。
 私は中学に入学して、すぐに女子バスケット部に入部しました。同じように入部した仲間は私を含めて5人だけでした。厳しい部だという噂があり、小学校でミニバスをやっていた子でも入部しない友人が多かったです。この5人はみんなバスケットが大好きで、練習時間以外にもよく集まって練習しました。また、バスケットだけでなく勉強でも何でも相談できる仲良し集団でした。1つ上の先輩たちはたくさんの部員がいて、しかも強かったので、私たちは上級生に混じってプレイすることは、ほとんどありませんでした。それでも、「私たちの代になったら、この5人で強いチームを作ろうね。」とよく声を掛け合っていたものです。私は心の中で、「こんなに頼もしく支え合える仲間がいる私は幸せ」と思ったものです。噂通りの厳しい練習でしたが、一人だったら苦しくてリタイヤしてしまう練習も、5人で励まし合うと不思議と乗り越えることができました。
 2年生になり、10人の下級生を迎えました。下級生には、小学校のミニバスでも活躍した背の高い運動神経のよいA子もいました。A子が私たちに混じって大会に出るようになるのではと少し不安な気持ちになりました。夏の中体連は、3年生が力を発揮して勝ち抜いていきましたが、県大会途中で残念ながら敗退しました。それでも、先輩たちは、やり遂げたという充実感をもって引退していきました。「さあ、私たちの代になったよ!この5人で先輩たちを越えるよう頑張ろうね!」と声を掛け合って、新チームの練習が始まりました。
 真夏の暑さ厳しい中、厳しい練習に、体力の限界を感じることもたびたびありました。
苦しい練習でしたが、5人で励まし合って、全員休まずに夏休みの練習を終えることができました。下級生たちは、この夏の練習に音をあげて、2人が辞めていきました。夏休みの後半からは試合形式の練習や練習試合も始まりました。他校との練習試合もほとんど負けることなく、チーム力は順調にアップしていきました。2学期が始まり、いよいよ新人戦間近となってきました。私も気持ちが入ってきて、
バスケットも勉強もやる気がみなぎる充実した日々を送っていました。

T ところが、大会直前の練習中、試合形式の練習で、相手側にいたA子のガードについて動いていた私は、A子の鋭い切り返しに反応して動いた瞬間、左膝のグキっという音とともに激痛が走り、その場で倒れ込みました。あまりの痛さに起きあがることが出来ませんでした。仲間に支えられてコートの外まで運んでもらいました。顧問のT先生にアイシングをしてもらいましたが、足にちょっとでもふれるだけで痛かったです。立ち上がるのもやっとで、左足は地面につけることすら出来ませんでした。おんぶをしてもらいT先生の車まで運んでもらいましたが、左足をだらんとおろしたまま持ち上げることも出来ませんでした。病院に着きレントゲンを撮りました。骨に異常はありませんでしたが、その後、MRI検査をして、「膝前十字じんたい断裂」と診断されました。
 このケガは手術をしないで自然に治るのを待つという方法もあるということでしたが、この先バスケットを続けるには、ここで手術をした方がよいというアドバイスを受けました。私は復帰まで相当時間がかかることなどを考え、かなり迷いましたが、両親やT先生にも相談して、手術を受けることを決めました。この手術は、すぐには行うことはできず、ある程度ケガが回復してから行います。手術までは筋力を落とさないために週三回リハビリに通うこととなりました。だから部活に顔を出さずにリハビリに通う日が多くなりました。
 新人戦は始まり、私が抜けたポジションにはA子が入り、勝ち進んでいきました。私は試合日には会場に行って、他の4人の仲間やA子に向けて声が枯れるほど精一杯応援しました。A子のプレイはやはり群を抜く素晴らしさで、彼女のおかげでこのチームが勝ち上がっていったといってもよいくらいの大活躍でした。そのような仲間への応援を一生懸命していましたが、私の心の中には、5人で勝ち上がっていき大喜びする姿を見るのがだんだんとつらくなっていきました。それは、「私がここにいても」とか「私のつらさなんて、誰もわかってくれない。」という気持ちが心の中に生じ、それは次第に大きくなっていったからです。仲間の活躍の場から去りたいと思うようになり、部活に顔を出す回数も減り、同級
生の4人との会話も減っていきました。

M 毎日、毎日、私はそのようなうつうつとした気持ちで過ごしていました。集会で女子バスケット部が表彰される姿を見て素直に喜べない私がいました。廊下で他の4人が集まっていても、その輪に入る資格がないような気持ちになって、避けて近寄らないようにしたこともたびたびありました。復帰するんだという強い気持ちで通っていたリハビリに行っても熱心に取り組むことが出来ませんでした。しかし、しばらくして病院の先生から、「そろそろ手術できる状態になってきたよ。手術日は12月25日にするよ」と言われました。みんなが楽しく過ごすクリスマスの日に、よりによって私は何で手術を受けなくてはいけないのか、復帰はあきらめて手術も止めようかと悩み始め、親にも言いましたが、「何を言っているんだ、もう決めたことだろう。今になってそんなこと言うのはおかしいよ。」と全く相手にされませんでした。バスケットに復帰するという強い目的をもって手術を決めた2ヶ月前の私を後悔しました。そして私は何をするのもやる気が出ませんでした。勉強にも身が入らず、次第に何に対しても「どうでもいいや」という投げやりな気持ちが生じ、無気力な生活になっていってしまいました。そんな私を見つけて、「どうしたの?最近あなた変じゃない?」とか「あなた、これから復帰するんでしょ。そんなだらしないあなたではないはず」と他の4人から言われることもたびたびありましたが、素直に聞く耳を私は持っていませんでした。
 ある日の放課後、キャプテンのMが帰ろうとしている私の方に寄ってきました。私はそれを避けて、横を向いて逃げようとしましたが、Mは先回りして、私の正面に立ち、「ちょっと話があるから来て」と強く言って私を逃がしませんでした。しぶしぶ私はMに付いていきました。体育館の方に向かっているようでした。そして、そこに入ると、下級生も含めてバスケット部全員が集まっていました。その中心に立ち、振り返ったMは、「みんなで作ったものがあるから、それを見て」と言って1年生に目配せしました。「???」
 Mの目配せに応じて1年生が後ろからたくさんのTシャツの束を私の目の前に置き、そこから1枚を取り出し広げました。そのTシャツには、文字がデザインされて書かれてありました。その文字をしばらく見つめているうちに、私はその場で泣き崩れてしまいました。そんな私にMは、「このTシャツをみんなで考えて作ったの。これからこれを着て、練習しようと言ってね。もちろんあなたにも復帰して着てほしい。着てくれる?」私はその言葉を聞いて、さらに涙が溢れてくるのを感じながら大きくうなずき、心の底から「ありがとう! みんなありがとう!」と叫びました。
 それからしばらくたった12月25日に予定通り手術をしました。新年は車椅子での不便な生活、でも、大勢の励ましの声に支えられている自分を感じて、私は多くの時間をかけて、熱心にリハビリに取り組みました。春を感じ始めた3月頃から少しずつ普通に歩けるようになり、3年生になった4月には、大きな不安がありましたが、仲間や下級生に支えられて練習を開始し、少しずつ段階を踏んでプレイしていきました。そして、6月には練習試合にも出場できるようになったのです。夏の中体連はレギュラーに復帰できませんでしたが、サブとして状況に応じて試合にも出場することができました。私が思い描いていた同級生5人で先輩たちの築いた成績を上回るということは達成できませんでしたが、それ以上の大きな宝をもらったと感謝しています。
 私を救ってくれた言葉を、この話の最後に皆さんに紹介します。このTシャツを絶対に着ようと思ったことで、私は再び復帰に向けて、力強く歩み始めることができました。あの時体育館でTシャツにプリントされていた文字は、次の言葉でした。
「あなたひとりじゃない  となりにはいつも  みんながいるから」 (完)

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