6月13日(土)13:00よりわたしの主張大会が開催されました。本校からも「人の目と本音」という代で、参加しました。堂々とした態度で自分の考えを伝え、盛大な拍手をいただきました。お疲れ様でした。以下に、その内容を掲載します。
「人の目と本音」
私は人目を気にしながら生きています。
自分の行動や発言が、他人からどう見られているのか、気になって仕方がないのです。第一、人の目を気にしない私なら、この文章を書こうとは思いません。ここに、人目を気にしてしまった辛い体験談を書きたいと思います。
それは、体育の授業での話です。私はスポーツが苦手です。特に球技がだめです。足でボールを操るサッカーは全くできません。体育のサッカーの授業最終日のことでした。そんな私がキーパーをやることになりました。試合中、クラブチームで専門にサッカーを習っている相手がゴールに迫ってきました。そして、強烈なシュートを放ったのです。守備のみんなも為す術なく見るだけ、私はキーパー、ゴールの中央で構えます。当然、私はボールをキャッチできません。ボールはそのままゴールに吸い込まれました。
「○○、もうキーパーしなくていいよ。」
そんな言葉が、焦っていた私の心に重くのしかかりました。それ以降、試合が終わるまで、私のところにボールが回ってくることはありませんでした。みんなが点を決めたり、激しい攻防を繰り広げる中、私は一人だけグランドに一粒の涙を落としていました。 その時は、ただ悲しく、みんなに申し訳ないという気持ちを強く感じていたのですが、家に帰り、冷静になって考え直してみました。私の心に残っていた気持ちは、「なぜ、そこまで言われなければならないのだろう」という黒色の気持ちの塊でした。
私は、勉強は得意です。だから授業中に他の人を教えることが多いのです。教える時、相手がなかなか理解できない場合も「もういいよ。」と突き放すことは一度もありませんでした。しかし、考えてみれば「もうキーパーしなくていいよ。」と言われた後、その人に自分の本心を言葉で直接伝えてはいませんでした。それだけの勇気がなかったのです。言わなかったのは、その人を思う優しさではなく、和を乱すことへの恐怖でした。サッカーが終わった後も、何事もなかったかのように、普通に話し、笑い合いました。その笑みが嘘だったとは思いませんが、普通に振る舞うことが辛かったことを覚えています。
生きている主人公は、紛れもなく私です。人目を気にしてやりたいことをやらず、言いたいことを言えない私は、自分を押し殺しています。本当の自分ではありません。このまま年老いて自分の人生を思い返した時、本音を言わず、人目を気にしてやりたいことができなかった人生への後悔を抱いて死にたくはありません。自分で納得して安心して眠りにつきたい、と思います。確かに、やりたいことを我慢し、言いたいことを気兼ねした方が、人には嫌われないでしょう。しかし、私は自分の人生を全うすることを選びたいのです。
今、私は人生の大きな分岐点に立っているように思います。これからは、友に本音を伝えようと思っています。